ハマスホイとデンマーク絵画展&記念講演会 感想

ほとんど4ヶ月前の記録です。

思い立った時に美術館に行くということは、私にとって自分の内側を潤すことであり、大切なひと時だったということを痛感しています。
今回は、直後に書いていた日誌から振り返りつつ、記事としてまとめたいと思います。
いつもとトーンが違いますがご容赦ください。

ハマスホイとデンマーク絵画展(2/7 夜間展示)

今回の展覧会は、私の卒論を指導してもらった先生が開催のサポートをしており、記念講演会も行われるということでずっと前から楽しみにしていた。

そして楽しみにしすぎていたからなのか、うっかり前日のWebチケットを買ってしまう。
Webチケットは当日しか使えないので慌てたが、幸い、2/7は夜間開館日のある金曜日。
仕事を大急ぎで終わらせて、閉館1時間前の美術館に滑り込んだ。

夜の美術館は、思った以上に空いていた。
恐らく平日の谷間時間よりも空いている。

居並ぶ人のほとんどが非日常に少しうきうきした大人で、それぞれが何かをじっと考えているような雰囲気がとても心地よかった。
作品たちが内省的だったから、自然と自分たちもそういう雰囲気になったのかもしれない。

とはいえ、堪能し尽くすにはちょっと時間が短かった!40分でじっくり観るのは不可能!
自分のミスなのでどうしようもないけれど……

いい展覧会なだけに、駆け足で観るのはもったいないので、これは人混みに負けず、またじっくり休日を使って観に行こうと決意する。
明日は講演会に行くので、きっとまた知らない世界が開けるはず。楽しみだ。

気になった作品は以下。

クロイア《スケーイン南海岸の夏の夕べ-アナ・アンガとマリーイ・クロイア》

ピーザ・スィヴェリーン・クロイア《スケーイン南海岸の夏の夕べ-アナ・アンガとマリーイ・クロイア》、油彩・カンヴァス、ヒアシュプロングコレクション、1893年

北欧の光だな、と感じた作品。
ムンクの描く水辺の風景と光の質感がよく似ている。
画面の向こうへと去っていく、2人の女性の服の筆致が素晴らしく良くて、近くでじっと見入ってしまった。
構図の妙もあるけれど、この小ささで服の柔らかさや透けた雰囲気をしっかりと感じられる、というのはなかなか驚異的なことだと思う。
なんとなく前を去り難い、そんな作品。

ハマスホイ作品が約40点集結。2020年1月開催「ハマスホイとデンマーク絵画」の見どころとは?|美術手帖より引用。

ピーダスン《花咲く桃の木、アルル》


クリスチャン・モアイェ=ピーダスン《花咲く桃の木、アルル》油彩・カンヴァス、ヒアシュプロングコレクション、1888年

北欧の光の中で描かれた作品がずらっと並んだ中ではとても異質。
なんだかこれは全然違う光だな……というかめちゃくちゃゴッホっぽい?と思っていたら、本当にゴッホとピーダスンは親交があったとのこと。
※画像は下記ツイートから引用。

ヴィゴ・ヨハンスン《きよしこの夜》


ヴィゴ・ヨハンスン《きよしこの夜》油彩・カンヴァス、ヒアシュプロングコレクション、1891年。

ハレの日、祝祭的な蝋燭の光。
たくさんの蝋燭を灯し、温かな光でお互いの顔が浮かび上がる。
近寄って観ると、ほんのりと虹のようなものまで感じられるくらい、蝋燭の光が丁寧に描かれていていることがよく分かる。

ハマスホイ《室内、蝋燭の明かり》


ヴィルヘルム・ハマスホイ《室内、蝋燭の明かり》油彩・カンヴァス、デンマーク国立美術館、1909年。

こちらは《きよしこの夜とは》反対の、ケの光。
相手の顔どころか自分の手元も見えないような暗さが日常というのは、現代ではなかなか想像できない。
でも、夜は本来こういうものかもしれないなとも思う。

Interior. Artificial Light - Google 検索より引用。

ハマスホイ《寝室》


ヴィルヘルム・ハマスホイ《寝室》油彩・カンヴァス、ユーテボリ美術館、1896年。

陽光に照らされた清潔な室内と、顔の見えない女性。
白のコントラストがとても美しい。

けれど、良く観察すると小机や椅子がまるで床からにょきりと生えているようにも見える。
ひとつ違和感を覚えてしまうと、その清潔さ、物の少なさまでも不気味に感じてしまう。

Göteborgs konstmuseumより引用。

記念講演会「不安な絵画ーハマスホイとデンマーク絵画」(2/8)

2日連続の東京都美術館
ハマスホイ展の記念講演会へ。

起きるのが遅くなってしまい、会場に到着したのが結構なギリギリだったのだけど、無事に良い席を確保できた。

今回のような展覧会に付随する講演会は結構好きで、タイミングが合えば参加するようにしているけれど、この手のイベントではかなり混んでる方だったと思う。
整理券がもらえるかな?とひやっとしたのは初めての経験だった。

今回の講演会はキルケゴールが提示する「不安」という概念を鍵に、ハマスホイ、ハマスホイとほぼ同世代の北欧画家であるヘレン・シャルフベック、そしてムンクが取り上げられた。

が、こういう場で哲学の話がさらっと持ち込まれるたびに、もっと大学でいろいろ勉強しておけばよかったなあと悔やまれる。
いつだって逃した魚はなんとやら、だ。

この3者はそれぞれ題材は異なるものの、身近な人の度重なる死や失恋の痛手、自身の精神の不安定さなどの「個体の痛み」が作品に反映されている、という解釈が非常に興味深かった。

個人的な話であるが、ゴッホの絡みからムンクも好きで、一時期は卒論の範囲に含めるために真剣に勉強していたこともある。
その当時は、ゴッホの何に自分が惹かれるのか、ゴッホの何が後世の芸術家に影響を与えたのかということをよく考えては袋小路に陥っていた。
(結局、私の力量不足でそこまで領域は広げられなかった)

が、今日の講演を聞いて、もしかしてゴッホの「個人の痛みを作品に反映させつつ絵画としてのバランスをギリギリのところで取る」というところが先駆的であり、ムンクはそこに影響を受けたのではないか?という考えに至り、ひっそりと興奮している。

シャルフベックとムンクは生まれが1年違い、亡くなった時期も2年違いなので、ほぼ同じ時代を生きている。

今日の話によると、シャルフベックはムンクの作品を快く思っていなかったらしい。

ちょうど去年、ムンクの作品を単体で観た時は、その踊る筆と溶ける肉体や月の柱に秘められた内面告白に夢中になったし、死の匂いに驚いたのを覚えている。

それでも、ムンクは深淵を覗きつつも、最後の最後に絵の画面の完成度を優先させる。
どんなに魂が壊れかけていても、画家として画面の整合性や色彩の響き合いは破綻しない、そういう姿勢だ。

一方でシャルフベックは、かなり「自分から」深淵に向かっていっている。
「自分の魂による危険な実験」というフレーズが出てきて、なるほどなと思う。

戦時下、そして自ら老いて死に向かっていく様子を自画像にするということは並大抵のことではない。
それでも目だけは煌々としていて、キュビズムのような新しい表現を取り込んでもいる。
より深淵へ向かうために、画面上の自分を傷つけることも辞さないし、見つめたままを画面上そのままに描き出そうともがく。


ヘレン・シャルフベック《自画像、光と影》年油彩・カンヴァス、ユレンベリ美術館、1945年。

Green Self-Portrait "Light and Shadows" - Wikidataより引用。

世の中には深淵に向かっていける人がいる。
いろいろな画家のいろいろな作品を見るたびに、深く潜れないけれど憧れてしまう自分を発見する。

が、シャルフベックはこれまでの中でもトップクラスの「潜れる人」で、かなり衝撃的だった。

ムンクとシャルフベック、どちらも画家としての態度の違いであり、良い悪いの問題ではない。
けれど確かにシャルフベック側から見たらムンクは日和って見えるかもしれないなあと思わず思ってしまい、そんな自分にもまた驚く。

何かを知るたびに、眼差しは変化していく。

講演の中で、死に向かう様子を「魂が薄くなる」、個人の生の中での絶望を「個体の痛み」「魂の危機」と言い表していて、その言葉がとても印象に残っている。

シャルフベック自身も失恋の痛みを抱えて自画像と向き合う最中、手紙でこう述べている。

「私の肖像画は、死んだような表情になるでしょう。こうして画家というのは魂を暴くのかしら、仕方ないわね。私は、もっと怖ろしく、もっと強い表現を探し求めているのです。」

やはり、魂なのだなと思う。

後日談・ハマスホイ展のお土産

このコロナ禍の影響で、足を運べた展覧会はいまのところこのハマスホイ展だけとなっています。
しかも2日に渡ってばたばたとしていたので、グッズショップもじっくり見られず。

ハマスホイ展の雰囲気、余韻が存分に感じられるすごく素敵なショップだったのに、結局あれもこれも買いそびれた……としょんぼりしていたら、先日ありがたいことに公式WEBショップが期間限定でオープンしました。

公式WEBショップの作りも、展示の雰囲気がしっかり引き継がれていて、かなりぐっと来てしまいました。
ネットでの買い物はどうしても顔が見えない部分がありますし、雰囲気作りも実際やるとなると難しい、というのは仕事柄からも痛感しています。

なので、そもそも展覧会が開催できるのかどうかすらも見えない中で、これだけ素敵なショップを作ってくれて本当にありがとう!という気持ちです。

ショップオープン日にるんるんで買い物したのがこちらのエコバッグ。

ハマスホイ作品のグレーから引用された3色展開。
グレー好きにはたまらないですね。
散々悩んで、サンドを選びました。

持ち手も布もしっかりしていてとても使いやすいので、これは他のも色ち買いすればよかったなー……と。
同じグレー3色展開のマグカップも可愛く、こちらはめちゃくちゃな争奪戦になってたようなのですが、これも眺めているとついつい欲しくなってしまいます。

あとは図録ですね!
前回は迷った末に見送ってしまったのですが、こうして感想を書いているうちにやっぱり手元に欲しくなってしまったので、これも次にオープンした時に買おうと思っています。

また、今回の展覧会のミュージアムショッププロデュース・運営をされている株式会社EastEastさんの、「想いの発信」にも、ちょっと込み上げるものがありました。

私自身もコロナ禍でどうやって日々の発信をしたらいいものかと悩んでいる最中ですが、やっぱり「テクニックじゃないな」と改めて思います。
業界はまったく異なりますが、届ける先の方の悔しい想い、それを想像した時の生身の自分の感情、そういうものを、逃げずに言葉にしていかないといけないなと、身が引き締まりました。