桑久保徹「A Calendar for Painters without Time Sense.12/12」@茅ヶ崎市美術館 感想

f:id:esspresso:20210227203909j:plain

2021年、最初の展覧会。
桑久保徹「A Calendar for Painters without Time Sense.12/12」@茅ヶ崎市美術館の感想です。

2020年の展覧会の振り返りが全く終わってないのにアレですが、感情の高まりをきちんと残しておくために先にこちらから感想を書きたいと思います。

美術手帖の特集で知った「カレンダーシリーズ」。
前回の展示である2018年も非常に素晴らしく、強く印象に残っています。
私がしっかりと展覧会の記録を残そうと思ったきっかけでもあるんですよね。

▼興奮気味に書いた当時の記事。
そんな思い入れのある作品がついに完結したということで、密を避けてパッと行ってきました。

平日の昼過ぎに伺ったこともあり、ほぼ全てのタイミングで空間を独り占め状態。
大きな作品を全身でじっくり堪能しながら、人間の思考はこんなにも軽やかに時代や空間を越えることができるのだという感覚を久しぶりに味わうことができました。

図録から考える美学的なあれこれ

図録には美術手帖で連載されていた制作中のエピソードに加えて、2018年以後の作品の制作エピソード、対談や解説が盛り込まれています。
西洋美術の伝統的な議論との関連性など、この値段で本当にいいんでしょうか?というくらいの読み応え。


ご本人の対談では日本の西洋美術受容の歴史(例:ゴッホがいかにして日本で熱狂的人気を誇る画家となったのか)が対比として上がっていた部分が印象に残りました。

その箇所を読んだ上で改めて考えてみると、シリーズを通して提示されているのは、単に西洋と日本の対比や受容に留まらず、連綿と続く人類の時間軸と営みの中に桑久保氏も鑑賞者も在る、ということではないかなと。

そしてこのシリーズの枠組みそのものが、本来区切りがつけられない時間を区切る役割を持つカレンダーである、というのが本当に面白いですよね。
図録に掲載されている茅ヶ崎美術館艦長の解説での「時祷書」への言及も、確かにそうだな!と思いました。
まさか時祷書と名画カレンダーがこんなところで繋がるとは。
絵画と暦には早い時代から比較的現代まで、密接な関係があったんですよね。

また対談の中で触れられたいわゆる「オリジナル/コピー」問題も非常に考えさせられました。

絵画そのもの=ペインティング
絵画そのものを元にした画像やグッズなど=ピクチャー

という位置付けになるほどなあと思いながら読んでいるうちにふと思ったのですが、絵画経験(ペインティングを実際に観る)際に、ピクチャに全く触れずに経験することって、実はとても難しいんじゃないでしょうか。

ペインティングを見に行く前に必ず告知としてのあれこれを見ると思うのですが、それって全てピクチャなんですよね。
ピクチャが提示するこんな感じのものがありますよ〜という情報なしにペインティングに出会うことって、そうそうないんじゃないかなと。

まあその辺りはルーベンスのように複製版画として作品を流通させたことで名声が広まった画家もいるので、現代に限った話でもなく。

そもそもいわゆる芸術論の始まりの話が、プラトンが絵画や詞をミメーシス(mimeshis:模倣)と批判的に位置付けたこと、一方でアリストテレスはこれを肯定的に捉え直した、という、外界と制作物および芸術家の立ち位置・役割の話なのですよね。

あとぼやっと考えたのは「観賞後に脳内に蓄積されているものは結局ピクチャなのではないか」問題。

画家が外界から目を使ってインストールしたものを技と思想を持ってアウトプットしたものがペインティング、と置いてみます。

私たち鑑賞者はペインティングをインストールする、つまり画家というフィルターを通した外界を受容している訳ですが、そこからの解釈には鑑賞者によるばらつきがでてきます。

その理由は、解釈という行為の中に芸術家伝説や事前/事後に見たピクチャが入ってくる、さらに個々のこれまでに生きてきた経験や興味関心にも差異があるからのではないかなと。

このばらつきこそが知的好奇心をくすぐるというか、人はそれぞれ違う生き物であるというのがよく分かって面白いなあと個人的には思いますが、じゃあ作者の本意って一体何に宿るのだろう?という堂々巡りに陥ってしまいました。

こういうことをつらつら考えるのが好きなのですが、思考の壁にぶち当たるたびにやっぱりもう少し大学で真面目に美学を頑張ればよかったなあ……と後悔しています。

さて、「解釈にはどうしても生まれてくる差異がある」を踏まえた上でもう一度カレンダーシリーズに戻ります。

ある画家の残したペインティングを起点に、画家の目と技と思想、そして画家の先に広がる「画家が眼差した外界」を別の画家が解釈し再構築した…というのが、このシリーズの奥行きの深さなのだと思います。

図録の中ではご本人が写経と表現されていて、なるほどなと思いましたね。
他のインタビューや手記、評論などを読むと演劇的アプローチという文言が出てくるのも興味深いです。

個人的なペインティングの受容体験の話

というわけでここからは個人的なペインティングの受容体験の話を。

カレンダーシリーズと最初に対峙してからちょうど3年が経ちます。

この3年間で心身の不調に陥ったり職が変わったりと私生活で色々あったのですが、大学で学んでいたことを忘れたくないという想いから意識的に美術館に足を運んでいました。

ピエール・ボナール国立新美術館で初めてじっくり観たけど青の使い方が独特でよかったな、セザンヌは学生時代はどう捉えていいかわからなかったけどこの3年間でいろんな作品を観るうちにすっかり好きになったんだよな、とか、そういう個人的な受容体験がぶわっと蘇ってきて。

馴染みのあったゴッホムンクだけでなく、できる限りさまざまな画家の作品に触れてきたことで、やっぱり3年前の自分と今ここにいる自分は、同じだけど変化した別の存在でもあるのだ、ということを強く実感しました。

そういう思い出がひと段落した後に頭によぎったのは、じゃあそれぞれの画家の「らしさ」の根源はどこにあるのか、という疑問。

ムンクムンクたらしめるもの、ゴッホらしい筆致や色彩ってなんだろう。
構図?モティーフの選定?やっぱりいわゆる生き様ってやつだろうか?

そんな「らしさ」を考えているうちに、それぞれの画家の世界の捉え方、カレンダーシリーズ画中画の外の空間が気になってくる。
世界と自分の関係の捉え方、在りたい姿、表現の取っ掛かり、そういうものが見え隠れするような気がする。

ティーフを調達するセザンヌ

セザンヌの世界は、まるで透明な竜のようなセント=ヴィクトワール山が支配しているようにも見える。
故郷以外の場所に暮らしていた時期も、彼の意識下でずっと眠っていたのかもしれない。
f:id:esspresso:20210227211100j:plain
《サント=ヴィクトワール山》1904-06年、デトロイト美術館(デトロイト美術館展にて撮影)

そういえばカレンダーシリーズの中で、かの有名な《りんごとオレンジ》りんごやオレンジが今時のスーパーの袋に入れられており、しかも(確か)プロヴァンスマートと書かれていたのにはちょっと笑ってしまった。
とはいえモティーフを日常的に調達する、買い物に行くセザンヌという存在は世界のある時期に確かに在ったんだよな、と思ったり。

▼こちらだと見にくいのですが件の袋があるのは画面の左下あたりです。

ゴッホの書簡、世界との距離感

やっぱりゴッホの星空には相変わらず胸を締め付けられる。
f:id:esspresso:20210227212155j:plain
桑久保徹《フィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホのスタジオ》、2015(※2018年の展覧会にて撮影)

彼岸に煌めく夜景や天の星との、届きそうで届かない距離感がなんとも切ないな、とつい思ってしまうのは、私自身が彼の書簡を一時期読み込んでいたからだろうか。
どうも贔屓目というか、肩入れしてしまう自分がいる。

(中略)地図の上で町や村をあらわす黒い点がぼくを夢想させるのと同様にただ星を見ていると、ぼくはわけもなく夢想するのだ。
なぜ蒼穹に光り輝くあの点が、フランスの地図の黒い点より近づきにくいのだろうか、ぼくはそう思う。
汽車に乗ってタラスコンやルーアンに行けるのなら、死に乗ってどこかの星へいけるはずだ。
この推論で絶対に間違いのないことは、死んでしまえば汽車に乗れないのと同様に生きている限りは、星に行けないということだ。(書簡506、1888年7月以降)

希望を或る星によって表現すること。生あるものの烈しさを夕陽の光線によって表現すること。もとよりそこには写実的な写実はないが、それこそ実際に存在するものではなかろうか。(書簡531、1888年)

届かない、と彼が思ってしまった光を再現しているように、アトリエは黄色い。
ゴッホが準備した黄色い家ももしかしたらそんな感覚だったのかもしれない。

ムンクゴッホの魂の近さ

ムンクの月柱から連想するのは、溶け合いたいと思えるほどの強さで向けられる愛。
彼岸に輝く極夜のエメラルド色の光と、奥底で昏く燃える赤。

この昏い赤で思い出したのはムンク展で出会った《吸血鬼》という作品。

f:id:esspresso:20210227204956j:plain
《吸血鬼》1895年、油彩・カンバス、ムンク美術館

展覧会を観た当時も印象に残った、血管のように広がる赤い髪と、さまざまな愛の形のことを考える。

外界が明るければ明るいほど、内側で燃えるものが浮かび上がってくるような、そんな色味の関係。
ゴッホにとっての青と黄色の関係と、通じるものがあるような気もする。
やっぱりこの2人は興味関心、精神、魂が似ているんじゃないかな。

ピエール・ボナールとアーモンドの花

ピエール・ボナールが居るのはきっと南仏の、遠くに海を望む高台の花園の中。
彼が描く花は生き生きとしているけれど、手触りがあるようなないような、まるで夢の中のような雰囲気もある。

断ち切られた空間の果てにさりげなく咲いているのは、彼が最期に描いた花、アーモンドの花のようにも見える。
実際の作品と異なり、ちょっと枝振りが和テイストというか浮世絵ナイズされて見えるけど、アーモンドの花だったらいいな、と思う。
f:id:esspresso:20210227205924j:plain
《花咲くアーモンドの木》1946-47年、油彩・カンバス、オルセー美術館蔵(ポンピドゥー・センター、国立近代美術館寄託)

***

それにしても、ただの記号・絵の具の塊といえばそれまでなのに、こんなに心を揺さぶられるのは何故なんでしょうね。

知的好奇心と追憶を行ったり来たりしながら、我々は途方もない壮大な物語の中の一演者に過ぎないけれど、同じ物語の中でどこかで繋がっていられるというと思えば寂しくはないのかな、などと柄にもなく大きなことを考えてしまいました。


ハマスホイとデンマーク絵画展&記念講演会 感想

ほとんど4ヶ月前の記録です。

思い立った時に美術館に行くということは、私にとって自分の内側を潤すことであり、大切なひと時だったということを痛感しています。
今回は、直後に書いていた日誌から振り返りつつ、記事としてまとめたいと思います。
いつもとトーンが違いますがご容赦ください。

ハマスホイとデンマーク絵画展(2/7 夜間展示)

今回の展覧会は、私の卒論を指導してもらった先生が開催のサポートをしており、記念講演会も行われるということでずっと前から楽しみにしていた。

そして楽しみにしすぎていたからなのか、うっかり前日のWebチケットを買ってしまう。
Webチケットは当日しか使えないので慌てたが、幸い、2/7は夜間開館日のある金曜日。
仕事を大急ぎで終わらせて、閉館1時間前の美術館に滑り込んだ。

夜の美術館は、思った以上に空いていた。
恐らく平日の谷間時間よりも空いている。

居並ぶ人のほとんどが非日常に少しうきうきした大人で、それぞれが何かをじっと考えているような雰囲気がとても心地よかった。
作品たちが内省的だったから、自然と自分たちもそういう雰囲気になったのかもしれない。

とはいえ、堪能し尽くすにはちょっと時間が短かった!40分でじっくり観るのは不可能!
自分のミスなのでどうしようもないけれど……

いい展覧会なだけに、駆け足で観るのはもったいないので、これは人混みに負けず、またじっくり休日を使って観に行こうと決意する。
明日は講演会に行くので、きっとまた知らない世界が開けるはず。楽しみだ。

気になった作品は以下。

クロイア《スケーイン南海岸の夏の夕べ-アナ・アンガとマリーイ・クロイア》

ピーザ・スィヴェリーン・クロイア《スケーイン南海岸の夏の夕べ-アナ・アンガとマリーイ・クロイア》、油彩・カンヴァス、ヒアシュプロングコレクション、1893年

北欧の光だな、と感じた作品。
ムンクの描く水辺の風景と光の質感がよく似ている。
画面の向こうへと去っていく、2人の女性の服の筆致が素晴らしく良くて、近くでじっと見入ってしまった。
構図の妙もあるけれど、この小ささで服の柔らかさや透けた雰囲気をしっかりと感じられる、というのはなかなか驚異的なことだと思う。
なんとなく前を去り難い、そんな作品。

ハマスホイ作品が約40点集結。2020年1月開催「ハマスホイとデンマーク絵画」の見どころとは?|美術手帖より引用。

ピーダスン《花咲く桃の木、アルル》


クリスチャン・モアイェ=ピーダスン《花咲く桃の木、アルル》油彩・カンヴァス、ヒアシュプロングコレクション、1888年

北欧の光の中で描かれた作品がずらっと並んだ中ではとても異質。
なんだかこれは全然違う光だな……というかめちゃくちゃゴッホっぽい?と思っていたら、本当にゴッホとピーダスンは親交があったとのこと。
※画像は下記ツイートから引用。

ヴィゴ・ヨハンスン《きよしこの夜》


ヴィゴ・ヨハンスン《きよしこの夜》油彩・カンヴァス、ヒアシュプロングコレクション、1891年。

ハレの日、祝祭的な蝋燭の光。
たくさんの蝋燭を灯し、温かな光でお互いの顔が浮かび上がる。
近寄って観ると、ほんのりと虹のようなものまで感じられるくらい、蝋燭の光が丁寧に描かれていていることがよく分かる。

ハマスホイ《室内、蝋燭の明かり》


ヴィルヘルム・ハマスホイ《室内、蝋燭の明かり》油彩・カンヴァス、デンマーク国立美術館、1909年。

こちらは《きよしこの夜とは》反対の、ケの光。
相手の顔どころか自分の手元も見えないような暗さが日常というのは、現代ではなかなか想像できない。
でも、夜は本来こういうものかもしれないなとも思う。

Interior. Artificial Light - Google 検索より引用。

ハマスホイ《寝室》


ヴィルヘルム・ハマスホイ《寝室》油彩・カンヴァス、ユーテボリ美術館、1896年。

陽光に照らされた清潔な室内と、顔の見えない女性。
白のコントラストがとても美しい。

けれど、良く観察すると小机や椅子がまるで床からにょきりと生えているようにも見える。
ひとつ違和感を覚えてしまうと、その清潔さ、物の少なさまでも不気味に感じてしまう。

Göteborgs konstmuseumより引用。

記念講演会「不安な絵画ーハマスホイとデンマーク絵画」(2/8)

2日連続の東京都美術館
ハマスホイ展の記念講演会へ。

起きるのが遅くなってしまい、会場に到着したのが結構なギリギリだったのだけど、無事に良い席を確保できた。

今回のような展覧会に付随する講演会は結構好きで、タイミングが合えば参加するようにしているけれど、この手のイベントではかなり混んでる方だったと思う。
整理券がもらえるかな?とひやっとしたのは初めての経験だった。

今回の講演会はキルケゴールが提示する「不安」という概念を鍵に、ハマスホイ、ハマスホイとほぼ同世代の北欧画家であるヘレン・シャルフベック、そしてムンクが取り上げられた。

が、こういう場で哲学の話がさらっと持ち込まれるたびに、もっと大学でいろいろ勉強しておけばよかったなあと悔やまれる。
いつだって逃した魚はなんとやら、だ。

この3者はそれぞれ題材は異なるものの、身近な人の度重なる死や失恋の痛手、自身の精神の不安定さなどの「個体の痛み」が作品に反映されている、という解釈が非常に興味深かった。

個人的な話であるが、ゴッホの絡みからムンクも好きで、一時期は卒論の範囲に含めるために真剣に勉強していたこともある。
その当時は、ゴッホの何に自分が惹かれるのか、ゴッホの何が後世の芸術家に影響を与えたのかということをよく考えては袋小路に陥っていた。
(結局、私の力量不足でそこまで領域は広げられなかった)

が、今日の講演を聞いて、もしかしてゴッホの「個人の痛みを作品に反映させつつ絵画としてのバランスをギリギリのところで取る」というところが先駆的であり、ムンクはそこに影響を受けたのではないか?という考えに至り、ひっそりと興奮している。

シャルフベックとムンクは生まれが1年違い、亡くなった時期も2年違いなので、ほぼ同じ時代を生きている。

今日の話によると、シャルフベックはムンクの作品を快く思っていなかったらしい。

ちょうど去年、ムンクの作品を単体で観た時は、その踊る筆と溶ける肉体や月の柱に秘められた内面告白に夢中になったし、死の匂いに驚いたのを覚えている。

それでも、ムンクは深淵を覗きつつも、最後の最後に絵の画面の完成度を優先させる。
どんなに魂が壊れかけていても、画家として画面の整合性や色彩の響き合いは破綻しない、そういう姿勢だ。

一方でシャルフベックは、かなり「自分から」深淵に向かっていっている。
「自分の魂による危険な実験」というフレーズが出てきて、なるほどなと思う。

戦時下、そして自ら老いて死に向かっていく様子を自画像にするということは並大抵のことではない。
それでも目だけは煌々としていて、キュビズムのような新しい表現を取り込んでもいる。
より深淵へ向かうために、画面上の自分を傷つけることも辞さないし、見つめたままを画面上そのままに描き出そうともがく。


ヘレン・シャルフベック《自画像、光と影》年油彩・カンヴァス、ユレンベリ美術館、1945年。

Green Self-Portrait "Light and Shadows" - Wikidataより引用。

世の中には深淵に向かっていける人がいる。
いろいろな画家のいろいろな作品を見るたびに、深く潜れないけれど憧れてしまう自分を発見する。

が、シャルフベックはこれまでの中でもトップクラスの「潜れる人」で、かなり衝撃的だった。

ムンクとシャルフベック、どちらも画家としての態度の違いであり、良い悪いの問題ではない。
けれど確かにシャルフベック側から見たらムンクは日和って見えるかもしれないなあと思わず思ってしまい、そんな自分にもまた驚く。

何かを知るたびに、眼差しは変化していく。

講演の中で、死に向かう様子を「魂が薄くなる」、個人の生の中での絶望を「個体の痛み」「魂の危機」と言い表していて、その言葉がとても印象に残っている。

シャルフベック自身も失恋の痛みを抱えて自画像と向き合う最中、手紙でこう述べている。

「私の肖像画は、死んだような表情になるでしょう。こうして画家というのは魂を暴くのかしら、仕方ないわね。私は、もっと怖ろしく、もっと強い表現を探し求めているのです。」

やはり、魂なのだなと思う。

後日談・ハマスホイ展のお土産

このコロナ禍の影響で、足を運べた展覧会はいまのところこのハマスホイ展だけとなっています。
しかも2日に渡ってばたばたとしていたので、グッズショップもじっくり見られず。

ハマスホイ展の雰囲気、余韻が存分に感じられるすごく素敵なショップだったのに、結局あれもこれも買いそびれた……としょんぼりしていたら、先日ありがたいことに公式WEBショップが期間限定でオープンしました。

公式WEBショップの作りも、展示の雰囲気がしっかり引き継がれていて、かなりぐっと来てしまいました。
ネットでの買い物はどうしても顔が見えない部分がありますし、雰囲気作りも実際やるとなると難しい、というのは仕事柄からも痛感しています。

なので、そもそも展覧会が開催できるのかどうかすらも見えない中で、これだけ素敵なショップを作ってくれて本当にありがとう!という気持ちです。

ショップオープン日にるんるんで買い物したのがこちらのエコバッグ。

ハマスホイ作品のグレーから引用された3色展開。
グレー好きにはたまらないですね。
散々悩んで、サンドを選びました。

持ち手も布もしっかりしていてとても使いやすいので、これは他のも色ち買いすればよかったなー……と。
同じグレー3色展開のマグカップも可愛く、こちらはめちゃくちゃな争奪戦になってたようなのですが、これも眺めているとついつい欲しくなってしまいます。

あとは図録ですね!
前回は迷った末に見送ってしまったのですが、こうして感想を書いているうちにやっぱり手元に欲しくなってしまったので、これも次にオープンした時に買おうと思っています。

また、今回の展覧会のミュージアムショッププロデュース・運営をされている株式会社EastEastさんの、「想いの発信」にも、ちょっと込み上げるものがありました。

私自身もコロナ禍でどうやって日々の発信をしたらいいものかと悩んでいる最中ですが、やっぱり「テクニックじゃないな」と改めて思います。
業界はまったく異なりますが、届ける先の方の悔しい想い、それを想像した時の生身の自分の感情、そういうものを、逃げずに言葉にしていかないといけないなと、身が引き締まりました。


アンビバレントさを考える ゴッホ展@上野の森美術館 感想

今回のゴッホ展の感想で、2019年の展覧会感想はひと区切りつきそうです。

感想を後回しにしていると、本を読んだり別の展覧会に行ったりで、まとめる前にいろいろ繋がりに気づけるというメリットもあるのですが、やっぱり溜め込むと振り返りの量が酷いことになるので、来年は鮮度第一で行こうと思います。

という訳でゴッホ展の感想です。
10月に一度行ったあと、昨日12/29にもう一度見に行っています。
公式サイトは下記より。

また、今回の画像は注釈がないものは全て公式から引用しています。
なんか色味がイマイチだったので……

混雑状況

久々に混雑状況の話を。
上野の森美術館に関しては、動員多めの企画が多い割には建物が小さいので、いつ行ってももう混むのはしょうがないかなと思っています。
昨年のエッシャーフェルメールも結構並んだのでだいたい覚悟はできてます……

オンライン・上野公園の入口・JR上野駅内のカウンターのどれかでチケットを事前入手するのは必須です。
とはいえ割と美術館慣れしているというか、同じく覚悟を決めている人が多いのか、美術館のチケット売り場がめちゃくちゃ混んでる!みたいな状況は最近はあんまり見ないかなという印象です。
まあ2回並ぶのは普通に面倒なので、事前にチケット手配はしておいて損はないかと。
昨日はチケット手配済みの待機列が、12:30くらいの時点で入場まで40分待ちでした。

また昨日はたまたま暖かかったので良かったですが、待機列が結構な日陰になるので、防寒対策はしておいた方かなと思いました。

そして館内もめちゃくちゃ混むので荷物は小さくまとめるが吉ですね。
ゴッホ展公式Twitterを見ている限り、待機列はなくても中はめちゃくちゃ混んでたパターンも多そうです。
あと館内の構造上、いったん外に出てしまうと物販エリアには引き返せないので、お財布を忘れると悲しいことになります。

《じゃがいもを食べる人々》と版画


ファン・ゴッホ《じゃがいもを食べる人々》1885年4-5月、リトグラフ、ハーグ美術館

ゴッホがひとつの集大成として仕上げた意欲作《じゃがいもを食べる人々》の完成を周囲の人々に伝えるために作成した版画です。
しかし実際の作品と版画の出来には差があったこともあり、友人で画家のラッパルトはこの絵を批判しました。


ファン・ゴッホ《じゃがいもを食べる人々》1885年4月、油彩・カンヴァス、ゴッホ美術館
※展示なし、Web Gallery of Artより引用

絵画の方と見比べると、確かに版画は全体的に人物の表情は明瞭ではあるものの、シルエットはもったりしているように感じます。
ドラマティックな光の効果も失われていますね。

実は10月に観た時はこの作品と経緯について、かなりさらっと流してしまっていました。
ほーんまあそういうこともあるかな、くらいの感じでしたね。

ちょっと話が逸れますが、先日、成城大学の公開シンポジウム「ローマの誘惑」に行ってきました。

全部の話が非常に面白かったのですが、最も興味深かったのが幸福先生による「ふたりのヘンドリック ― ローマのオランダ版画家たち」でした。

これまで版画に関しては完全にノーマークだったのですが、版画は美術を広く伝えるメディアとして非常に重要な役割を果たしていたようです。

今日「名作」として知られている作品の多くは版画によってその評判が伝えられ、世間に広まっています。
版画の出来もその名声形成に関わっていますし、実際の作品とは異なり黒白の限られた表現の中で版画家達はどのように作品を再現したのかという観点もある、というのが、もうなんでいままで自分はこれをやらなかったんだ!?というくらい面白かったんですよね。
いやーやっぱり美術史って楽しいな、好きだなと改めて思いました。

会場の解説によると、ゴッホも自分の作品を版画にするために、版画工に制作を習っていたそうです。
やはり、この当時も版画は作品の出来を伝えるために必要な手段だったんでしょうね。
腕のいい版画家は売れっ子だった、みたいなこともあったと思います。
絵画や版画が持つ「伝達手段」「メディア」という性質は、これからも意識しておきたいところです。

ゴッホとモンティセリ


アドルフ・モンティセリ《陶器壺の花》1875-78年頃、油彩・板、個人像
※下記記事より画像を引用しています。
【ゴッホ展この1点】(4)アドルフ・モンティセリ「陶器壺の花」1875-78年頃 色彩のオーケストラ - 産経ニュース

度々書いてますが、モンティセリの色彩感覚は本当に素晴らしいですね。
澄みきった色ではないのに、パッと目を引く鮮やかさがあり、ちょっとゴブラン織に似ている気もします。

モンティセリは個人蔵のものが多いからなのか、なかなか観られる機会が少ない上に、極端に画像もグッズ展開もないのが本当にもったいないというか、非常に無念です。
ポストカードくらい欲しいんですけどねえ。
この独特の輝きは是非とも生で観て欲しいです。


ファン・ゴッホ《花瓶の花》1886年夏、油彩・カンヴァス、ハーグ美術館
Wikipediaフィンセント・ファン・ゴッホの作品一覧より引用

で、明らかにモンティセリにインスパイアされてるよね、というのがこちらの作品。
ただ、同じ華やかな花卉画でもまた印象が違います。
この画像も色味があまり再現されてなく、ぜひ会場で比較してみて欲しいのですが、背景は同じ黒でも、モンティセリの絵肌はツルツルキラキラなのに対して、ゴッホの絵肌は少しマットなんですよね。
ゴッホの方は、まるで木目が透けた漆器のようです。
この塗りの着想はどこから来たのかは気になるところです。
ゴッホが本当に漆器を見てたりしたらすごく面白いとは思うのですが、どうなんですかね。

ゴッホアンビバレントさを考える


ファン・ゴッホ《サン=レミの療養院の庭》1889年5月、油彩・カンヴァス、クレラー=ミュラー美術館

《糸杉》については、卒論で扱ったこともありもちろん思い入れが強いのですが、会場で最も衝撃を受けたのがこちらの作品。
赤、青、黄、緑、黒といった色彩が響き合い、眼前に迫ってくる様に圧倒されます。
実物はもっともっと鮮やかな色味です。

この鮮やかな色たちのバランスを取る色彩感覚や、奥へ奥へと誘うような構図の巧みさを思うと、ゴッホはものすごく絵に対してはどこかかなり理性的というか、決して感覚「だけ」で描いているわけではないよなあ、と改めて思います。

わたしはサン=レミ、オーヴェル=シュル=オーワーズ時代の作品がとりわけ好きなのですが、これまでその理由がいまいち言語化できていませんでした。

今回本腰を入れてその理由を考えてみたのですが、この時期のゴッホが精神を病んでなお、強い野心と理性を持って絵画と向き合ってたことが伝わってくるからではないかなと思っています。

ゴッホ自身の感情が大きくうねり、生と死に対して終始アンビバレントな思いを抱えながらも、絵に対しての感度や世界を見る眼差しが研ぎ澄まされ、他者からの影響を糧に「ゴッホとしての純度」がどんどん高まっていく様に、ベタな言い回しではありますが、人間としての強さを感じます。

この時期のゴッホの死生観は非常に興味深く、書簡の中で折に触れ、生と死について書き残しています。
とりわけ興味深いのは「汽車に乗ってタラスコンやルーアンに行けるなら、死に乗って何処かへ行けるはずだ」「死んだらば汽車に乗れないように、生きている限りは星にはいけないからね」という記述です。
星という輝かしいものと死を同一視している様子からは、どこか死というものに惹かれ夢想しているのではと推測できます。

一方、画家としてのゴッホの眼は、身の回りの植物から生命力を見出し、それに心奪われているんですよね。
《サン=レミの療養院の庭》では、草木の1本1本までもが躍動し、画面左の建物が相対的に弱々しく見えるくらいの強さで草木が持つ生命力が描き表されています。


ファン・ゴッホ《糸杉》1889年6月、油彩・カンヴァス、メトロポリタン美術館

《糸杉》もまた、渦が立ち昇るような「糸杉」のモティーフの描き方から、生命力に惹かれるゴッホの眼差しが伺えます。
糸杉の奥には重たい印象を与える黒と、立ち昇るエネルギーの対比が見事です。
また、糸杉の先端が断ち切られた構図になっていることで、わたしたちがこの糸杉の先端を想像するという余地が残されているのも面白いなと思います。


ファン・ゴッホ《薔薇》1890年5月、油彩・カンヴァス、ワシントン・ナショナル・ギャラリー

解説では「体調回復の喜び」といったことが書かれていたのですが、わたしは野の木々や草花の荒々しさとはまた違う、終わりをはらんだ生命力という印象を持ちました。

花瓶から溢れんばかりの薔薇や強い輪郭線を持って茂る葉から、この薔薇が確かに生きている様子が伺えます。
しかし《サン=レミの療養院の庭》と見比べると、どこか硬さを感じます。
描かれた当時と色味が異なるということを踏まえても、葉の鮮やかさに対する花びらの透き通るような繊細さがちょっと病的というか、美しい骨組みのようです。
葉はまだ生きているけれど、花の方は葉に先んじてゆっくりと死に向かっているように感じました。

これは妄想の域ですが、ゴッホという人物は、自分自身が死に惹かれれば惹かれるほど、画家としての眼差しは世界に満ち溢れる生の方に惹きつけられていたのではないかと思うんですよね。
その狭間でめちゃくちゃに苦しんだ一方で、その葛藤があったからこそ、画家としての眼が尋常じゃなく研ぎ澄まされた部分もあったんじゃないかなあと。

生と死という普遍的な問題について、自分の中に激しい矛盾を抱えながら、それでも描かずにはいられなかったゴッホだからこそ、現代のわたし達がその作品と対峙した時に、国も時代も超えて「生まれて死ぬ、同じ人間として」繋がることができる。
これが、ゴッホが現代に至るまで多くの人々の心を動かす理由なのではと思っています。


コートールド美術館展+『長寿と画家—巨匠たちが晩年に描いたものとは?』感想

2019年が終わってしまうので、なんとか精算するべく調べ物を進めています。
来年は東京の会期中に記事が上げられるようにしたいものです……

ということでコートールド美術館展@東京都美術館の感想です。
今回はマネが大好きな夫と一緒に行ってきました。

公式サイトは下記より。

また今回、画像はTHE ATHENAEUMより引用しています。

セザンヌとコートールド氏

コートールド美術館は、ロンドン大学コートールド美術研究所の美術館で、実業家であったサミュエル・コートールド(1876-1947)が築き上げたフランスの印象派・ポスト印象派のコレクションが基盤になっています。
さらにコレクション形成だけではなく、イギリスの美術館が作品を購入するための基金も創り、来年日本にやってくるロンドン・ナショナル・ギャラリーの《ひまわり》の選定にも携わっていたとのこと。
国家に素晴らしい作品を、という点では松方コレクションと通じる部分もありますね。
今回は改装ということで、まとめてコレクションが日本に巡回してきたそうです。

コートールド氏の言葉もいくつか展示の中で紹介されていたのですが、最も感銘を受けたのが、彼がセザンヌの作品に出会った際のことを回想した言葉です。

「その瞬間私は魔術を感じ、それ以来ずっとこの画家の魔術にかかったように感じている。」

自分の目と心に響いた衝撃に対して、こういう言葉が出てくる人が羨ましい限りです。
ゴッホに取り組んでいたこともあり、画家自身の手紙や手記が好きなのですが、コートールド氏のようなコレクターの言葉もまた素晴らしいですね。
来年は少し言葉周りを強化したいなぁとも思っているので、腰を入れていろいろと読んでみるつもりです。

松方コレクション展でセザンヌの魅力に気づいたこともあり、ここでもがっつりセザンヌを観ることができたので、ひっそりと心の中で盛り上がってました。

ポール・セザンヌ《レ・スール池、オスニー》1875年頃、油彩・カンヴァス、コートールド美術館

冴え冴えとした緑がさっと目に飛び込んでくる作品です。
水面の映り込みの直線的な感じが少し不思議。
ペインティングナイフが使われているとのことで、絵肌がちょっと変わってたのが面白いなと思ったのですが、何がどうだったのかメモに全っ然書いてないという痛恨のミス。
今年は結構そういうこと多くてダメだなあ……


セザンヌ《大きな松のあるサント=ヴィクトワール山》1887年頃、油彩・カンヴァス、コートールド美術館

お馴染みのサント=ヴィクトワール山シリーズ。
先日、温泉に入りにひとりで新潟まで出かけたのですが、電車から見えた山々がとても綺麗だったんですよね。

いまのところ山は見えないエリアでしか暮らしたことがないため、同じ山をずっと描き続けるということについて実はそこまでピンと来ていなくて。
まあ近くに山があればそういうこともあるかな……などとふざけたことを思っていました。
が、こういう車窓をずっと眺めていても全然見飽きなくて、あ、これは確かに面白いし何枚も描きたくなるな!とようやく腹落ちしました。


セザンヌ《キューピッドの石膏像のある静物》1894年頃、油彩・板に貼られた紙

今年のあれこれを経験していたタイミングで観たからこそ面白く思えたのだろうな、という作品。
目で見たときの配置の心地よさと、絵画としてひとつの画面に収めきるための配置の差異。
りんご、石膏像、布、テーブルなど、それぞれの物質が持つ重みやリズムは、絵画上であれば自由に変えることができる。
セザンヌを通して「見る」「描く」ってなんだろう?ということを今年は今までになく考えたかなと思います。
 

モネの大気の捉え方と、晩年を生きるということ


クロード・モネ《アンティーブ》1888年、油彩・カンヴァス、コートールド美術館

セザンヌと同じ、画面の手前左に木のある水景という構図ですが、雰囲気がまたがらりと違うのが面白いですね。
透明感のある桃色、オレンジ色が入ってくると途端に甘くなる、というか……
濁りがないので画面が明るく、この絵の主題は陽光そのものや、その陽光を受けた大気ではないかと感じています。
同じ甘やかさでも、ルノワールとはまたちょっとニュアンスが違うのがまた興味深いですね。
ルノワールはどちらかというと、人間の肌と光の関係だったり、布のきらめきや透け感などに魅力を感じてたのかなあと思います。


クロード・モネ《秋の効果、アルジャントゥイユ》1873年、油彩・カンヴァス、コートールド美術館

反射、セーヌ河の水のきらめきが存分に味わえる作品です。
《アンティーブ》と比べて、こちらの大気はもう少し温度が低いというか、ちょっとしっとりした感じですね。
アンティーブは南仏で夏のバケーション地、一方アルジャントゥイユはパリ近郊なので、そもそもの光や大気の感じが違うんですね。
そこに秋の日差しの効果も加わり、少し落ち着いた印象です。
この描き分けができるのがモネの眼と技術の恐ろしいところです。

ちなみに、この作品が描かれた1873年というのは、第1回印象派展の前年に当たります。
この時のモネは33歳ですかね。
水面と陸面の境目がほとんど感じられない点は、晩年の《睡蓮》の連作に通じるような、モネの水面への反射と物体の関係性への興味、物の見方が既に現れているのかなと思っています。

長寿と画家  ──巨匠たちが晩年に描いたものとは?

長寿と画家 ──巨匠たちが晩年に描いたものとは?

  • 作者:河原 啓子
  • 出版社/メーカー: フィルムアート社
  • 発売日: 2019/07/26
  • メディア: 単行本

少し前からこちらの本を読んでいます。
モネも「長寿の画家」の1人である一方、その晩年は目の病気に苦しめられたことは良く知られています。

この本のモネの項では、興味深いことにセザンヌのモネ評が引用されています。

モネは、画家として常に新しい創造世界を拓いていくといったタイプではありませんでした。このようなモネに対して、セザンヌは、「モネはひとつの素晴らしい眼によって描いた」と言ったそうです。この言葉は称賛しているように思われますが、その一方で、「ひとつの眼」という表現は、視野が狭く近視眼的であることを仄かしてもいます。

この後、河原氏は「モネは印象派から新たな世界を発展させる才は持ち合わせていなかったかもしれないが、長年培ってきた“特別な眼”によって描いていた」と述べています。

わたしはモネの「ひとつの眼」が“特別”であるのは、ひとえに観察力の高さ、そして探究心の強さにあると思います。
・大気、光のニュアンスを読み解くずば抜けた観察眼を持っていた
・ひとつのモティーフの差異を見抜き、さらに飽くことなく探究し続けた
・「ひとつの眼」で「観た」ものを画面に再現し得る技術を晩年まで探究し続けた

この3つが、モネを“印象派の巨匠” にしたのではないかと。
河原氏の言葉を借りるとモネは「新たな世界を発展させた」わけではない。
でも、印象派という自らが始めた絵画への探究を晩年まで長く続けることができるというのもまた、素晴らしい画業ではないかなと思います。

これは私見の極みですが、モネが86年の生涯を捧げて、ブレることなく「ひとつの眼」を使い続けたからこそ、印象派という一時代のムーブメントがここまで強く堅牢なものとなり、だからこそ今日まで私たちを虜にしているのではないのかなと。
とても想像が膨らみますね!

もちろんその道のりは険しく、見えなくなっていく眼や、一瞬の光の揺らぎを絵に残すことの難しさに苛立ち、苦しんでいたことが手紙のやり取りに残されています。


クロード・モネ《花瓶》1881年着手、油彩・カンヴァス、コートールド美術館

解説によると、この作品は1881年に着手したものの署名はされず、1920年頃に加筆されようやく署名されたという見解になっているそうです。

41歳頃に着手した絵に納得がいかず、80歳でもう一度手直しし、やっと納得して署名するってなかなかできないですよね。
いやー、ちょっと想像がつかないです。

この作品の経緯からも、モネの“眼”の強さがとんでもなく飛び抜けていたというのが伺えます。
たとえ実際の視力が衰えていたとしても、やはり探究心や、観察した結果を絵に落とし込む上でのアイディアや技術は衰えず、どこまでも食らいついていけたというのがモネの素晴らしいところです。

実は『長寿と画家—巨匠たちが晩年に描いたものとは?』を買ったのは、コートールド美術館展のだいぶ後のことでした。
ですが、この作品の経緯と「長生きと感性の瑞々しさ」というフレーズが会場でのメモ書きに残っていました。
長く生きることと表現の関係や感性の保ち方などについて、会場でも気になっていたんでしょうね。

この本と出会えたのは偶然ではあったのですが、わたしが会場で興味を持った点についてドンズバで書いてあり、非常にすっきりしました。
モネを含め15人の画家が取り上げられているのですが、1人辺りは意外とコンパクトにまとめられており、柔らかなトーンなのでとても読みやすいので気に入っています。
生きること、仕事することとは……みたいに、自分の人生にも引き付けて考えられますし、やっぱり巨匠も生身の人間であるという基本的なことにも立ち返ることができる、いい本だなあと思います。

スーラやゴッホのような、短命の画家バージョンも読んでみたいところです。
長寿の画家たちの、生き続けること・変容していくこととはまた違う、生命の一瞬の輝きみたいなものが言語化されたら、またそれもすごく、現代の私たちが「生きることを考える」糧になるんじゃないですかね……どなたか是非に。

こうなってくると、モネの書簡もとても面白そうですね。
セザンヌの理論派っぽい感じの文章も、他の展覧会でちらっと読んで気になってはいるのですが……
来年はどっちかは手を付けたいところです。

ラーニングウォールがよかった

主要作品の解説がきめ細やかでいいねえ、と思っていたら、公式からも熱いアピールがあって笑いました。
画面内に描かれているものをひとつひとつ言葉で描写するのって、実は非常に難しいんですよね。
わたしもあんまり得意じゃないです。
もうちょい大学できちんと鍛錬すべきでした……
なので、このような細やかな解説パネルがあるのは個人的には非常に良い取り組みだと思います。
今回キービジュアルにもなっているマネ《フォリー=ベルジェールのバー》は特に情報量が多いので、まずはこうして整理することはとても大切かと。

そしてさらっと「室内を照らす人工照明が絵画に描かれたかなり早い例」という解説がついていたので、この件はめちゃくちゃ気になってます!調べたい!


子ども向けと侮ることなかれ みんなのレオ・レオーニ展 感想

さすが、可愛いですねえ。
松方コレクション展の後は、みんなのレオ・レオーニ展@損保ジャパン日本興亜美術館へ。
たまたま訪れた日は「トークフリーウィーク」。
子どもも声の大きさに気兼ねなく観られるよ、という取り組みです。
夏休み間近でしたのでね。

とは言え『スイミー』が国語の教科書に載っていることもあり、恐らく大人も黙って観るより話しながら観たいタイプの展覧会かな?と。
私も母と観に行ったのですが、やっぱりその、非常にわくわくしてしまったので……
結果的にトークフリーウィークで良かったなと思いました。

公式サイトは下記より。

ひょんなところで技法のおさらい

会場で、目録と一緒に配られているこちらの資料。
のっけからこちらにテンションが上がってしまいました。
絵本作家の展示会です、可愛いよ!というだけではなく、その裏にある美術の技術的なことをきちんと、作品とリンクして楽しく体感できるようになっているんですね。
この資料があることによって、絵本だけではなく原画を観る意味がぐっと高まったように感じました。

もちろん帰ってからも、各々の家にある(かもしれない)絵本を読んだときに「あ、あれ…」となるのかもしれないですし。
変に子どものことを子ども扱いしてるわけでもない、でもとても効果の高い、いい取り組みだなあと思いました。

普段偉そうにわーわー書いてる私も、技法や用語に関しては曖昧な部分も多いので、ひょんなところで技法とその例をたくさん観ることができて非常に楽しかったです。
何かを覚えるときは、実例を見るのが1番。

また後半の方で、『スイミー』のアニメを作成する際の様子がビデオ展示されていたのですが、これもとっても興味深くて何度も観てしまいました。

アニメも絵本と同様、紙と不透明水彩、そして透明なガラス板を使い、モノタイプによって生まれる偶然の模様を活かしてコラージュするという制作方法を取っている、という実際の作業を映した映像なのですが、これがとても面白かったんですよね。
その映像で作られていた、スイミーが泳ぐ海の海藻がなんと実際に展示されていていたというのもすごい。
他にも『コーネリアス』の胴体や『フレデリック』のアニメ用のコラージュなども展示されていて、レオ・レオーニ作品が持つ世界観をアニメでもきちんと表現していくという強い愛と意気込みを感じました。

原画と絵本を一緒に展示すること

原画と共に、至るところに手に取ってよい絵本がたっぷり置いてあったのも嬉しかったですね。

あちこちで子どもが絵本を読んでいるのはもちろん、高学年くらいの子どもがじっと絵本を読んでいるのなんかを見てしまうとこう、つい涙腺が緩むというか……

老若男女問わず、ここで懐かしの絵本と再会、という人も多かったんじゃないでしょうか。
1人で来てじっくり絵本を読んでいるのかな?という雰囲気の大人も多く、なんだかいいなと思いましたね。

物事の感じ方は時や状況に変化して当然であると思っているのですが、その変わっていく自分を捉えていくことが大切というか、それが「生きること」「学ぶこと」の意味のうちのひとつではないかと思っています。

上記記事で書いたとおり、適応障害で休職してた頃の、どうにもままならない気持ちを引き上げてくれたのが『スイミー』だったということもあり、会場で絵本を読みながら、8歳の自分からずいぶん遠くまで来たなあと、しんみりしてしまいました。

今回のお土産

カフェ食器でお馴染み、DURALEXスイミーのコラボグラスです。
テンション上がりすぎて値段も見ずに購入してしまいました。
他にもいろいろ可愛いグッズだらけで目移りしたのですが、「よく見るとスイミー」くらいのちょっと大人なトーンが気に入っています。


画家とコレクターの眼差しを辿る 松方コレクション展 感想

季節は一気に飛んで7月。
7月かそうか……という感じですが。
6月は仕事の繁忙期に加え、誕生日を迎えたこともありめちゃくちゃ情緒が不安定だったのと、友人の誘いで突如ヤクルトにどハマりしたのとで美術館に行ってなかったんですよね。

しかしそれはそれ、これはこれということで、7月は久々のハシゴ美術館。
松方コレクション展@国立西洋美術館とみんなのレオ・レオニ展@損保ジャパン日本興亜美術館に行ってきました。

公式は下記より。
また今回の作品画像は、全て国立西洋美術館 所蔵作品から引用しています。

素描の面白さに気づく

実のところ不勉強で、西洋美術館まで出掛けても常設展まで観ることが少なかったのですが、今回の松方コレクション展、かなりボリューム感のある展覧会でした。
なので、いままでかなりもったいないことしてたなあと思いましたね……

ビュールレ・コレクション展以来、シニャックの色使いが好きだなと思っていたのですが、松方コレクションにも素敵な作品がたくさんあると知り、だいぶ盲点でした。


ポール・シニャック《グロワ》20世期初頭、松方コレクション

紙に鉛筆と水彩、グアッシュで描かれており、分類上は素描になります。
20cm×27cmと実物はかなり小さいのですが、帆のオレンジ色が目を惹きます。
理論によって構築された幻想的な色合いの点描ともまた違う、素早く瑞々しい筆致からは、見知らぬ土地で新しい風景に出会った時の驚きや心躍る様が感じられます。


ポール・セザンヌ《水差しとスープ容れ》1888-90年、松方コレクション

素描繋がりで言うとセザンヌの素描群も良かったですね。
こちらも紙に鉛筆と水彩で描かれた作品です。
画面上の密度はものすごく高いものの、水彩の透明感によって、画面からの圧力のバランスが保たれているように感じました。
物体そのものをそれらしく描くのではなく、水差しやスープ容器、そして果物達が放つ物体としての固有の質量やエネルギーのようなものを、水彩と筆致によって描き出しているようにも見えます。

これまで、素描は画家の試行錯誤の証である、ということは頭で分かってはいたのですが、実感を伴って観ると全然面白さが違いますね!

私自身の絵心は皆無なためいままで「試行錯誤する経験」が乏しく、素描の楽しさがいまいちピンと来ていなかったのですが、私自身が商用に耐えうる写真を撮ることになってからというもの、こうした素描を観るのが俄然面白くなりました。

限られた画面をどうやって構成していくかという眼差しが自分の中に出来たことに加え、ほぼ同じモティーフで継続的に写真を撮るようになったために、自分の手で試行錯誤をするようになったという経験が、私の物の見方を変えたのだと思います。

私が手を動かして何度も商品の位置を並べ直したり日当たりに四苦八苦したりしたのと同じように、セザンヌがりんごやオレンジを並べて見え方や描き方、配置を試行錯誤したのだと思うと「愛おしい」という気持ちが湧いてきます。
人間としての生活や息遣い、そして時間の手触りのようなものがふっと作品の奥から迫ってくるような……画家も人間である、というのがぐっと実感できて、ああいいな、と思ったのでした。

コレクターの眼差し

文字にすると当たり前のことかもですけど、改めて考えると、何世紀も前の人間が描いた絵が残っていて今も観ることができるってすごいことですよね。

後世の人間がこうした経験ができるのもコレクターの意志あってこそなわけで、先にリンクを貼ったビュールレ・コレクションや、昨年のフィリップス・コレクション展@三菱一号館美術館など、展覧会でも時折コレクターの名を冠した「〇〇コレクション展」が開かれています。

フィリップス・コレクション展は、ダンカン・フィリップス氏が残した言葉から、それぞれの作品や画家への眼差しを読み解くことができる構成になっててとても面白かった記憶があります。

今回の松方コレクションは言葉のほか、松方氏の足跡をベースに、購入時に使われた実際の書類なども展示されていてこれも面白かったですね。

時代背景、そして松方氏の来歴上、戦争は切っても切り離せないのですが、その部分に関しても上手く作品を使っていたという印象です。

第2章「第一次世界大戦」では、絵画のメディア性と共に、戦争がもたらした富がコレクション形成に不可欠であったこと、そしてそのコレクションの中に「メディア化した絵画」が含まれている事実を提示しています。


リュシアン・シモン《ブルターニュの墓地の女たち》1918年頃、松方コレクション

いまのところwebで公開されている国立西洋美術館の所蔵作品検索では見つけられなかったのですが、エリック・ケニントン《陸兵の教練:毒ガス・マスク(『大戦 英国 1917 Eric Kennington の努力と理想』より)》など、はっきりとメディア寄りの作品も収蔵・展示してあり、当時のヨーロッパの空気を伺うことができます。

これらの作品を観て、ビュールレ・コレクションのビュールレ氏も武器商人でしたし、人間、全て清廉であるということはなかなか難しい……と、複雑な気持ちになりました。
しかしながら、この章を出してくることにより、絵画のメディア性、そして「ただ目に心地よいものを集めただけではない」という松方氏のコレクターとしての眼差しと共に、人間としてのアンビバレントな面がきっちり示されていたと思います。
これは企画展だからこそですね。

ゴッホ《ばら》とクリムト《丘の見える庭の風景》


フィンセント・ファン・ゴッホ《ばら》1889年、松方コレクション

どのタイミングだったか失念してしまったのですが、この作品は1度観ています。
今回こちらを観てパッと出てきたのが、東京都美術館クリムト展で観た《丘の見える庭の風景》でした。
似てませんか……?
イメージソースとして繋がってたら面白いなあと思うのですが、どうなんでしょうね。
こういうのをきっちり調べられたらいいのですが、なかなかまとまった時間が取れずもどかしい限りです。

あくまでこの2作品を見比べた限りの話ではありますが、ゴッホの意図が「草木や花々から感じられる生きている様をカンヴァスに残したい」だとすると、クリムトの方は様式化された分、装飾性が高まっているように感じました。
クリムトは、ゴッホの物の感じ方よりも、技法や着眼点(日本)、構図や色彩感覚の方に関心を持ち、影響を受けたのかなという印象です。

こうして比較すると、ゴッホの筆致がもたらす生命力の強さに改めて驚かされます。
物質そのものの奥の生命力がゴッホにはきっと見えていて、それが彼の胸を強く打ち続けていたのでしょうね。

今回のお土産

久しぶりに今回のお土産です。
なるべく嵩張るものは買わないと決意し、最近はポストカードばかり買ってたのですが、これは我慢できませんでした。

ゴッホ《ばら》を模したヘアゴム、ときめきが止まりません。
好きすぎて予備も欲しいくらいです。
企画展ではなく、常設の方で売ってるのもポイントが高いです。


ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道 感想

いろんなことが溜まりに溜まっていて、キャパの小ささを痛感する毎日でしたが、この度退職したので、溜まりに溜まったブログを書いていきたいと思います。
転職活動のあれやこれやはまた別エントリにて。

というわけでまずは5月に行ったウィーン・モダン展@国立新美術館から振り返ります。
5月ってひどいな!

公式サイトは下記より。
https://artexhibition.jp/wienmodern2019/


ウィーンほぼ200年を辿るんだから面白くないわけがない

都美のクリムト展の感想でも書いたのですが、こちらのウィーン・モダン展は世紀末へと向かうウィーンそのものの歴史、だいたい190年間が題材となっています。

かなり序盤からメッテルニヒアタッシュケースやらウィーン会議の様子やらが展示されているので、美術よりも歴史が好きだよ〜という人でも楽しめたんじゃないかなと。
よく世界史の資料集に出てくる「会議は踊る」の絵のバリエーションが展示されていたのも面白かったですね。

あとウィーンは音楽の都なので、こちらも教科書でお馴染みのモーツァルトシューベルトの肖像なども展示されていました。
あのシューベルトの丸眼鏡が展示されていたのには驚きましたね!
本当に肖像画と同じ物だし、まさか現存しているとは……という不思議な感慨がありました。

カフェ的視点から見るウィーン・モダン展

途中、銀食器や調味料入れなどを展示しているコーナーやコーヒーの器具があり、個人的にとてもそそられました。

ウィーンのコーヒーの歴史は古く、1683年のオスマントルコによる第二次ウィーン包囲後、トルコ人が残したコーヒー生豆を使い、ポーランド人コルシツキーが「ブラウエンフラッツェ」というカフェを開き成功した、という逸話があります。

このブラウエンフラッツェ(Blauen Flasche)の意味は「青い瓶」。
いまをときめくブルーボトルはこの逸話から名付けられたそうです。

そこから時代が下り、今回展示されていた濾過式コーヒーメーカーは1818年頃のもの。
130年余りでコーヒー文化が定着したことが伺えますね。

また興味深かったのが、トーネット社による椅子。
展示されていたのは《トーネット・チェアNo.2》ですが、このトーネット社の曲木による椅子とカフェ文化も切っても切り離せないんですよね。
調べてみたら様々な歴史的経緯があり、会社としては分離や経営危機もありつつ、現在もカフェやバーの椅子として愛されているそうです。
この記事が分かりやすいです。
現在から見るとザ・椅子!というデザインですが、その裏側にカフェの女主人のオーダーから人気に火がついたとか、万博に出展していたとか、本当に分厚い歴史があるのだなあ……と。
人間ってすごいなとしみじみ思いますね。

ちなみに、一応調べてみたのですがさすがに当時のカフェ「ダウム」は残っていないそうです。
が、ウィーンなら残っていてもおかしくないだろうなと思わせる何かがある。
行ったことはないですけどこれだけ分厚い歴史のいろいろを一気に観るとそんな気持ちになりますね。

ドイツ・トーネット社と無印良品がコラボし、リプロダクトした商品なんかもあるようです。
これはこれですっきりしていていいですね。https://www.muji.net/catalog/pdf/081031_thonet.pdf
また、こちらのリンク先のPDFはいい感じにトーネット社の椅子がまとまっていてとても分かりやすいです。
No.4はプレッツェルみたいで本当に可愛く、これが量産化されたら確かに当時としては画期的だし、真似したい!うちのカフェもぜひ!というお店もそりゃ多かっただろうな、と思わされるデザインです。展示されていたNo.2もとってもキュート。
トーネット社の歴史と照らし合わせても、やっぱりNo.1-3辺りはアンティークの中でも完全に博物館行きの貴重さなんですね。

《エミーリエ・フリーゲの肖像》

うっすら透けた生地のようにも見える華やかなドレス、身体のラインのしなやかさ、そしてこの眼差し。
自信に満ち溢れているようにも、どこか物憂げにも見える不思議な表情です。

実際に観て素晴らしく印象に残っているのはドレスに使われている紫です。
身体のラインをちょうど拾うような位置にこの紫が使われているのですが、この部分がすっと発光しているように見えたんですよね。
まるでエミーリエ自身が輝いているようにも見えてドキッとしたのをよく覚えています。

恐らく、組み合わせによる色彩効果もあるのだと思うのですけど、こんなに発光して見えるものか!と非常に驚きました。
ゴッホに影響を受けているとすると、その辺りも考えて描いていそうな気がします。

で、前回のブログで 《エミーリエ・フレーゲの肖像》のような作品と《ベートーヴェン・フリーズ》の「不摂生の象徴」になぜ同じ配色が使われているのかという問いを立てたものの、実は本物を観てもなかなかピンとこなかったんですよね。


ベートーヴェン・フリーズ》(部分)1901年、セセッション館

生涯のパートナーと、不摂生の象徴に似たような配色を持ってくる理由がなかなか見つからないのですが、青と金の配色からしか醸せない独特の華やかさや威厳というのは確かにあるんですよね。
夜空や宇宙のような、大袈裟にいえば、森羅万象のような。
鍵になるとしたらそのような、人智を超越した何かを感じさせるという部分なのかもしれません。

困難として立ち塞がる強大な不摂生と、生涯にわたるパートナー、つまるところ愛に、森羅万象を感じさせる共通の配色を持ってきたと考えると、クリムトの考える愛の多面性が少し見えてきたような気がします。

この辺り、文献ベースでもう少し調べてみたいなと思っているうちにすっかり時間が経ってしまいました。裏づけを求めるとやっぱりある程度の時間は欲しいですよね……ああ勉強がしたい!と思う今日この頃です。
幸い少し時間ができたので、12月中に今年の展覧会の感想を頑張ってもりもり書きたいと思います。