ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道 感想

いろんなことが溜まりに溜まっていて、キャパの小ささを痛感する毎日でしたが、この度退職したので、溜まりに溜まったブログを書いていきたいと思います。
転職活動のあれやこれやはまた別エントリにて。

というわけでまずは5月に行ったウィーン・モダン展@国立新美術館から振り返ります。
5月ってひどいな!

公式サイトは下記より。
https://artexhibition.jp/wienmodern2019/


ウィーンほぼ200年を辿るんだから面白くないわけがない

都美のクリムト展の感想でも書いたのですが、こちらのウィーン・モダン展は世紀末へと向かうウィーンそのものの歴史、だいたい190年間が題材となっています。

かなり序盤からメッテルニヒアタッシュケースやらウィーン会議の様子やらが展示されているので、美術よりも歴史が好きだよ〜という人でも楽しめたんじゃないかなと。
よく世界史の資料集に出てくる「会議は踊る」の絵のバリエーションが展示されていたのも面白かったですね。

あとウィーンは音楽の都なので、こちらも教科書でお馴染みのモーツァルトシューベルトの肖像なども展示されていました。
あのシューベルトの丸眼鏡が展示されていたのには驚きましたね!
本当に肖像画と同じ物だし、まさか現存しているとは……という不思議な感慨がありました。

カフェ的視点から見るウィーン・モダン展

途中、銀食器や調味料入れなどを展示しているコーナーやコーヒーの器具があり、個人的にとてもそそられました。

ウィーンのコーヒーの歴史は古く、1683年のオスマントルコによる第二次ウィーン包囲後、トルコ人が残したコーヒー生豆を使い、ポーランド人コルシツキーが「ブラウエンフラッツェ」というカフェを開き成功した、という逸話があります。

このブラウエンフラッツェ(Blauen Flasche)の意味は「青い瓶」。
いまをときめくブルーボトルはこの逸話から名付けられたそうです。

そこから時代が下り、今回展示されていた濾過式コーヒーメーカーは1818年頃のもの。
130年余りでコーヒー文化が定着したことが伺えますね。

また興味深かったのが、トーネット社による椅子。
展示されていたのは《トーネット・チェアNo.2》ですが、このトーネット社の曲木による椅子とカフェ文化も切っても切り離せないんですよね。
調べてみたら様々な歴史的経緯があり、会社としては分離や経営危機もありつつ、現在もカフェやバーの椅子として愛されているそうです。
この記事が分かりやすいです。
現在から見るとザ・椅子!というデザインですが、その裏側にカフェの女主人のオーダーから人気に火がついたとか、万博に出展していたとか、本当に分厚い歴史があるのだなあ……と。
人間ってすごいなとしみじみ思いますね。

ちなみに、一応調べてみたのですがさすがに当時のカフェ「ダウム」は残っていないそうです。
が、ウィーンなら残っていてもおかしくないだろうなと思わせる何かがある。
行ったことはないですけどこれだけ分厚い歴史のいろいろを一気に観るとそんな気持ちになりますね。

ドイツ・トーネット社と無印良品がコラボし、リプロダクトした商品なんかもあるようです。
これはこれですっきりしていていいですね。https://www.muji.net/catalog/pdf/081031_thonet.pdf
また、こちらのリンク先のPDFはいい感じにトーネット社の椅子がまとまっていてとても分かりやすいです。
No.4はプレッツェルみたいで本当に可愛く、これが量産化されたら確かに当時としては画期的だし、真似したい!うちのカフェもぜひ!というお店もそりゃ多かっただろうな、と思わされるデザインです。展示されていたNo.2もとってもキュート。
トーネット社の歴史と照らし合わせても、やっぱりNo.1-3辺りはアンティークの中でも完全に博物館行きの貴重さなんですね。

《エミーリエ・フリーゲの肖像》

うっすら透けた生地のようにも見える華やかなドレス、身体のラインのしなやかさ、そしてこの眼差し。
自信に満ち溢れているようにも、どこか物憂げにも見える不思議な表情です。

実際に観て素晴らしく印象に残っているのはドレスに使われている紫です。
身体のラインをちょうど拾うような位置にこの紫が使われているのですが、この部分がすっと発光しているように見えたんですよね。
まるでエミーリエ自身が輝いているようにも見えてドキッとしたのをよく覚えています。

恐らく、組み合わせによる色彩効果もあるのだと思うのですけど、こんなに発光して見えるものか!と非常に驚きました。
ゴッホに影響を受けているとすると、その辺りも考えて描いていそうな気がします。

で、前回のブログで 《エミーリエ・フレーゲの肖像》のような作品と《ベートーヴェン・フリーズ》の「不摂生の象徴」になぜ同じ配色が使われているのかという問いを立てたものの、実は本物を観てもなかなかピンとこなかったんですよね。


ベートーヴェン・フリーズ》(部分)1901年、セセッション館

生涯のパートナーと、不摂生の象徴に似たような配色を持ってくる理由がなかなか見つからないのですが、青と金の配色からしか醸せない独特の華やかさや威厳というのは確かにあるんですよね。
夜空や宇宙のような、大袈裟にいえば、森羅万象のような。
鍵になるとしたらそのような、人智を超越した何かを感じさせるという部分なのかもしれません。

困難として立ち塞がる強大な不摂生と、生涯にわたるパートナー、つまるところ愛に、森羅万象を感じさせる共通の配色を持ってきたと考えると、クリムトの考える愛の多面性が少し見えてきたような気がします。

この辺り、文献ベースでもう少し調べてみたいなと思っているうちにすっかり時間が経ってしまいました。裏づけを求めるとやっぱりある程度の時間は欲しいですよね……ああ勉強がしたい!と思う今日この頃です。
幸い少し時間ができたので、12月中に今年の展覧会の感想を頑張ってもりもり書きたいと思います。