ムンク展 共鳴する魂の叫び@東京都美術館②ムンクとゴッホと《星月夜》

引き続きムンク展の感想です。
前回はこちら。どうも私は極端で、会期最速で行くか駆け込みギリギリに行くかのどちらかになってしまうんですよね。
今年こそは会期中にまとめをかきおわりたいなと思っていたのですが早速挫折しました…
まあ自分の場所なので、納得と自分のペース重視で書き続けるようにします。

※今回も断りがない作品画像はWelcome to The Athenaeumより引用しています。

念願の《星月夜》と対面

卒論でゴッホの《星月夜》周辺を取り上げた話は度々このブログでも書いています。
実はその時にムンクの《星月夜》の話も後世への影響として入れ込みたくて、かなりムンクのことは真剣に調べていたんですよね。
その時に出会ったのがムンクの《星月夜》でした。
今回念願叶って実物を観ることができて、本当に嬉しかったです。


ムンク《星月夜》1922-24年、油彩・カンバス、ムンク美術館

雪に映る空の色と星の光、暗くなることのない白夜。
空も雪も明るいのに、自分の周りだけは何故か暗い。
それでも世界は、目の前の景色はこんなにも美しい。
星明かりのひとつひとつは小さくとも、確かに行きに明かりを灯しているかのように輝いています。
その星明かりは滲んでいるようにも、渦を巻きながら確かに外へ外へと拡散しているようにも見えます。


フィンセント・ファン・ゴッホ《星月夜》1889年、油彩・カンバス、ニューヨーク近代美術館

ゴッホの《星月夜》は、星や月が輝く夜空と山々、教会のある町並みと大きな糸杉が描かれています。
画面の上半分以上を占める夜空は青を基調とし、筆致がはっきり分かるほど大胆に描かれ、その夜空には大小様々の星が11個、黄色で渦を巻いているようにさらに画面右上には、右側が欠けた三日月が同じく黄色で描かれています。
山々の麓には町並みが広がっており、その中央部には十字架のある建物が点々と連なっています。
ある屋根には十字架がついていることから、その建物は教会であることがわかります。

ムンクの《星月夜》はゴッホの《星月夜》に直接的な影響を受けているか?という問いを立てて、あちこち資料を探したのですが、結局確証を得ることはできなかったため、ムンクの話は泣く泣くカットしました。

しかし画面だけ観ていると、星の描き方は似ている部分があるのかな、という気もしてきます。
発光する物の周りを渦巻きのように囲む描き方がなんとなく似ているようにも見えます。

奇しくも興味深い展覧会が2015年、ゴッホ美術館で開催されていたようです。
「ムンクとゴッホ」展 – NTV EUROPE–Topics

言いたいことがほぼそのまま書いてあるのでがっつり引用します。

同時期にパリに滞在していた二人が出会うことはなかった。
しかし、二人ともモネの光と色彩表現を尊敬し、マネの肖像画ロートレックの人物画にインスピレーションを受け、ピサロの点描技法を経験し、カイユボットの画面構成を取り入れ、新しいアイディアをスポンジのように吸収し、自らの芸術を確立していった。
さらに二人を深く結び付ける類似点は、人間の存在の本質と、その意味を追求する姿勢であった。
繰り返され続ける生や死、愛と希望の喪失による恐怖と苦痛など、答えの出ない本質的で普遍的な問題に熱心に取り組んだ。
奇しくも二人とも、恋愛のもつれにより、自らの身体を傷つけている。
ゴッホはこれらのテーマを《子守女(オーギュスティーヌ・ルーラン)》《荒れ模様の空の麦畑》《サン・ポール療養院の庭》で、ムンクは《星明りの夜》《叫び》《病気の子ども》《マドンナ》で取り組んだ。
このように、同じ絵画技術を習得し、同様のテーマを扱っていたのにも関わらず、二人が描いた作品は大きく異なっている。
それぞれの代表作である、ゴッホの《ひまわり》、ムンクの《叫び》を比べると理解できるだろう。ゴッホは現実世界を、練習に練習を重ねたうえで描き、ムンクは見ているものではなく、見たものを現実世界に縛られることなく自由に描いている。ここに二人の画家の個性の在り方が浮き彫りにされていると考えられる。

卒論を書いていた当時に読みたかった文章です…

ムンクの《星月夜》の実物、そして様々なゴッホの作品を観て感じたことは、やはりどちらも個人が人間の普遍的な問題に立ち向かっているという感覚です。

ゴッホは実景の中に死の匂いと憧れ、一方で生への執着と慄きを描いているように見えます。
一方でムンクが追求したのはやはり「愛の形」なのではないでしょうか。
ゴッホの《星月夜》が生と死のうねりとぶつかり合いであるとすれば、ムンクの《星月夜》は孤独の中でも垣間見える自然への眼差しと愛なのではないかと感じました。

ムンクの星・月・太陽の表現

先に紹介した《星月夜》のように、ムンクは星については、小さな渦巻き模様と拡散する線で描いています。

最も特徴的なのは月の表現です。


《夏の夜、マーメイド》1893年、油彩・カンバス、ムンク美術館


《月明かり、海辺の接吻》1914年、油彩・カンバス、ムンク美術館

様々な作品に見られるような、満月とそれが水面に映り込み溶けたような月の柱が特徴です。
欠けた月ではなく満月を描くこと、水(海)と月がともに描かれることが多いですね。
夜の中ではひときわ輝く柔らかな月の光の質感が伝わってきます。

この月柱に関しては講談社の『名画への旅』シリーズの17か18か19のどれかに詳しく載っていたと思います。
大学の図書館に行きたい…

一方、太陽は圧倒的な明るさと存在感で描かれています。


《太陽》1910-13年、油彩・カンバス、ムンク美術館

ムンクの塗り方は、油彩ながら透明感があり、色彩は強烈ながらマティエール自体は比較的薄塗りの印象があります。
しかし《太陽》は例外的に、かなりしっかりとした厚塗りが施されています。
それこそゴッホを思わせるような厚塗りだったので、会場の他の作品の中でも異彩を放っていました。

また、星を描くときには控えめだった放射線状の拡散する光の線の、同心円状に広がる光の輪がはっきりと大きく描かれています。

様々な作品を一気に観るうちに、ムンクは、自立して光る星と太陽は類似する描き方、光を反射して光る月は溶けたような月柱という描き分けをしていたのではないか?という気がしてきました。
実際のところはわかりませんが、そうだとしたら凄まじく理知的というか、自分の作品にはしっかりとしたストーリーや理論、繋がりがあるべきだと考えていたのかなという印象が強まりますね。