ムンク展 共鳴する魂の叫び@東京都美術館 ①愛の形

仕事の絡みでSNSやライティングの機会が増えたのは嬉しいのですが、やはりここは私にとって特別な場所です。
今年もこの場所では自由気ままに、楽しんでインプットとアウトプットを続けたいと思います。

ということで新年ひとつ目の展覧会、ムンク展@東京都美術館の感想です。

6日に行ったので門松も立っていました。
公式サイトは下記から。
【公式】ムンク展ー共鳴する魂の叫び

■混雑の様子

混雑度合いは結構キツめでした。
元々混雑しているという情報を仕入れていたので、先にJRの上野駅でチケットを買ってから並びました。
それでも入場まで20分ほど待ちましたね。
館内も久しぶりに人と人の間から絵を覗くという状況でした。
まあ年始休みの真っ只中ですしね。

■感想・愛の形

※今回も断りがない作品画像はWelcome to The Athenaeumより引用しています。

ピエール・ボナール展と同じくらいの衝撃でした。
去年のうちに観ていたら確実にTOP5に入ってましたね。
これだけ日本でまとまったムンクの作品が観られることはそうないんじゃないかと思います。

今回多くの作品を貸してくれているオスロムンク美術館に実際に行った友人からは「版画がとても良い」と聞いていましたが、確かにとても良かったです。


《ブローチ、エヴァ・ムドッチ》1903年リトグラフムンク美術館

この年に知り合ったヴァイオリニスト、エヴァ・ムドッチを描いた作品です。
髪の豊かさ、艶やかなうねりと魅惑的な眼差しに吸い寄せられてしまいます。

この作品の前から、ムンクの描く女性は豊かな髪を基本としています。
女性性の強調、男性性との差別化という意味合いでしょうか。


《接吻》1895年、エッチング・ドライポイント、ムンク美術館
Edvard Munch - WikiGallery.org, the largest gallery in the worldより引用

こんな感じですね。
《接吻》のモティーフの変化も追いかけていくととても楽しいです。
こちらは比較的写実寄り。
スナップショット感がたまらないですね。
ムンクは実際にコダックのカメラを所有していましたが、こちらの作品は恐らくカメラ入手前のものです。

(ポケモンとのコラボでなんでコダック?と思っていたのですが、さてはコダックのカメラだからという理由ですね…)


《吸血鬼》1895年、油彩・カンバス、ムンク美術館

《接吻》の変形モティーフでしょうか。
豊かな赤い髪が広がる血管のようにも見えます。
互いに溶け合うような一体感も「愛」ならば、互いに傷つき苦しみながらも離れられない、そんな関係性も「愛」の別の側面である…などと思いを馳せたくなりました。

ところで、キリスト教における赤髪は罪を示すのだそうです。
会場の解説で気になったのでざっと調べてみたのですが、
・人類最初の殺人を犯したカインとアベルのカイン
・キリストを売った裏切り者ユダ
が、赤髪であったとされています。

罪を犯した人間も愛することは止められない。
罪だと分かっていても止められない愛がある。

かつて人妻との愛に苦しんだムンクの経験が描かせた作品だなと、愛についてなんだかいろいろ考えてしまう作品でした。

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やはり私は19世紀末〜20世紀初頭あたりまでの画家がどうしようもなく好きみたいです。
その理由はいろいろ考えてみたのですが、ひとつは宗教に拠らない個人の内面告白の要素があるというところに惹かれているのかなと。

もちろんキリスト教信仰の要素がある画家も好きなんですけどね。
ルオー展もかなり好きでしたし、ぐっとくるものがありました。
しかしキリスト教を下敷きにしているものはどうしても自分のバックボーンにないため、ぴたりと重なり合うわけではないんですよね。

私はやはり、個々人が持つ内面の葛藤、それを昇華する様をさらけ出した結果としての作品が好きなのだと思います。

写実から少しだけ離れ、画家の眼差しが感じられるようなものが好きなのは、画家の内面と私自身の内面が重なり合うような体験を無意識のうちに求めているからなんでしょうね。
いま自分が抱えている感情は普遍的なものであるということに救われているのだと思います。

ちなみに、写実から離れすぎるとまた重なり度合いが変わり、どうも難しいと感じてしまいます…

《星月夜》と天体のある風景についてもたくさん書き残したいことがあるので、次回もムンク展についてです。
なにしろ長くなりそうなので…

【続きを書きました】