東博の常設展で印象に残ったもの

今回は、先日友人にガイドしてもらった名作誕生ー日本美術のつながり展@東博の際に一緒に少しだけ回ってきた本館の常設作品で、印象に残ったものを2作品紹介します。

特別展の感想はこちらから。

画面と題名、全てが完璧な六条御息所

上村松園《焔》1918年、東京国立博物館

常設に出ているものは現地で写真も撮れることが多いんですけど、これは綺麗な図で観てもらいたかったので、東京国立博物館 名品ギャラリーから引用させてもらっています。6/8までは本館で常設されるみたいです。
特別展の方は本日が最終日なので、ぜひ一緒に本館も観に行ってみてくださいね!

源氏物語」の六条御息所の嫉妬、後悔、どうしようもない哀しみみたいなものが凝縮されていてぞくぞくしますね。
藤を捕らえる蜘蛛の巣、そしてタイトルの「焔」。
自分で自分をコントロールできなくなっても、なお美しく誇り高い「女性」の姿として完成されていると思いました。画面で震えたのち、タイトルに気づいてで完敗した感じです。
髪の毛で口元も見えないので赤という色は画面からは見えませんが、心の内に激情が暗く、強く燃え上がっているさまが想像されます。

★藤に蜘蛛の巣という衣の柄

とてもインパクトのあるこの柄、上のコレクションのページでは以下のように説明されています。

髪の端を噛んで振り返る青い顔には嫉妬に翻弄される姿が現われ,白地の着物に描かれた清楚な藤の花にからむ大きな蜘蛛の巣が,執拗な怨念を不気味に暗示させる。

展示の方の解説ではまた別の側面で説明されていて面白かったですね。確かにしなやかな曲線が六条御息所の美しさや女性らしさを際立たせています。

藤花を狂おしく咲かせ、その花に絡む蜘蛛の巣を描く。女の身体や着物の柄のさまざまな曲線が、嫉妬に翻弄される女の姿を彩る。

題材が謡曲「葵の上」ということなので、タイミング的には恐らく葵の上を生霊で苦しめている姿だと思われるのですが、その後も六条御息所が紫の上に憑いたことを考えると、藤に蜘蛛の巣ってかなり怖いけどこれしかないような柄の気がします。

光源氏の実父・桐壺帝が亡き桐壺更衣に執着したために、瓜二つの藤壺中宮を入内させる
光源氏も亡き桐壺更衣の面影から藤壺中宮に執着し関係まで結んでしまう
・その藤壺中宮に瓜二つなのが紫の上であり、幼少期に半ば略奪して手元に置く

という一連の流れを考えると、桐壺帝も光源氏も「藤」に囚われているように思えてなりません。
藤に蜘蛛の巣という柄だけで、源氏物語の大きな骨格の一端をも示しているような気がしてきます。

なので、たまたま生霊になってしまったというだけで、別に六条御息所だけがひときわ執着に狂った人物というわけでもないのかな…とも思います。
六条御息所という人物は物語上、自身の嫉妬のみならず、むしろ桐壺帝や光源氏の執着まで背負わされてるんじゃないかとまで思ってしまいました。

芥子の花シリーズ

小林古径《芥子》1921年東京国立博物館

こちらの記事で、ゴッホ、モネ、ルドンの芥子の花をそれぞれ比較していますが、今回また芥子の花の新しい作品を見つけられてテンション爆上がりでした。
※こちらはもしかしたら展示時期が過ぎてしまってるかもしれません…

花よりも花を咲かせるための土台となる葉や茎に眼差しが注がれているように見えます。
やっぱりちょっとゴッホが目指しているものに近いところがあるかも?と思いました。
さすがアルルで日本を夢見ていただけありますね。当然直接的な関係はないですけれど、ゴッホは浮世絵や小説などから、かなり正確に日本的な眼差しの本質を嗅ぎ取っていたんじゃないかと感じました。

ただ、ゴッホよりも小林古径の方はもっと眼差しが柔らかい気がします。

ここからは想像ですが、ゴッホは日本的な眼差しを「獲得」したのに対し、古径の方は「西洋から見た日本的な眼差しは既に生得している」ので、2作品を比べた時に古径の作品は力みがないように見えるのかもしれません。