ルーヴル美術館展 肖像芸術—人は人をどう表現してきたか

今回はルーヴル美術館展@国立新美術館の感想です。
ルーヴル美術館のコレクションから「肖像」にスポットを当てたキュレーションになっています。

珍しく会期2日目という史上最速の早さで行ってきました…が、実は、肖像(画)は歴史的な人物関係がわからないと良さがわからない気がして苦手意識がありました。

でもこの展覧会で完全に苦手意識が吹き飛びました。キュレーションの力ってすごいです。
今回は個人的に好きな作品と、私なりに感じたこの展覧会の意義を書いていきたいと思います。

※今回の作品画像は断りがないものは展覧会公式のHP、 ルーヴル美術館展 肖像芸術—人は人をどう表現してきたかから引用しています。
また、参考作品以外は全てルーブル美術館所蔵です。

冒頭の彫刻ゾーンが面白い

プロローグとしてマスク2枚の展示を挟んだ後は、かなりの分量が彫像、立体作品で構成されています。
あまり自発的に彫像は観てこなかったというか、むしろ割とスルーしがちだったんですけど、一気にまとめて観ると面白いですね。

1章「記憶のための肖像」では死者を悼み記憶したいと願う気持ちは地域も時も超えて今も人間に引き継がれている、という事実に胸を打たれます。
そして同時に、次の「権力の顔」で始まる「権威を表すためのコード」(お約束みたいなものです)もこの時代から徐々に形成されていることが伺えます。

私が「権力の顔」の章で後々のコードのひとつなのかな?と思ったのがたっぷりした一枚布は権力を表すコードなのではないか説です。

ちょっといい画像がなかったのでタイトルのみの紹介になるのですが《神官としてのアウグストゥス帝の胸像》と《トガをまとったティベリウス帝の彫像》の布の分量の違いが面白かったんですよね。

アウグストゥスはローマ初代皇帝ですが、形の上では元老院を立てた元首政としていたため、恐らく元老院に若干気を使っていた時代だと思うんですよね…なのでこの彫像も「神官として」という但し書きもつけて布の表現も控えめだったのかな、と想像しました。

次の皇帝であるティベリウスはもりもり布たっぷり!って感じですので、だいぶ皇帝というものが定着してきて、元首政といえども権威を主張できるようになってきた、というところなのでしょうか。
ちょっと元老院への忖度的なところが垣間見えて面白かったです。

で、ここの布の質感を覚えておいて、後から出てくるナポレオンや他の肖像画を観ると、布の厚さや質感の表現が変わっていく様子も見えてくるので、ぜひこの2つの彫像はよく観てもらえたらと思います。

《メリティネ》とアカンサス


《巫女メリティネの胸像》、163-4年。

こちらは1章「記憶のための肖像」からです。
今回はこの像が気に入ったので色々と調べてみたら、まさかのウィリアム・モリスまで辿り着きました。

この巫女メリティネというのは実在した人物である、という旨が本家・ルーブル美術館のコレクション検索の解説に記載されていました。
図版も一緒に《メリティネ》ルーブル美術館から引用しています。
解説文で気になったのがこちら。

この人物像は、メリティネが巫女の職を離れてから制作されたことが碑文から分かり、しかも彼女が亡くなってから制作されたことも充分考えられる。というのもアカンサスの葉の束はいくつかの葬祭用胸像にも見られるのである。アカンサスの葉は常緑樹で、永遠の生命の象徴である。

《メリティネ》の体と台座を繋いでいるのがアカンサスの葉です。
なんでも、このアカンサスという植物はギリシャの国花にもなっている上、古代ギリシャにおいては装飾としても頻繁に引用されているモティーフなんだそうです。

中山典夫「アカンサス模様の生成について」という論文から図1だけ切り取り・引用させてもらいました。
展覧会から帰ってきてアカンサスについて調べて見つけたこのアカンサス文様の成立の経緯研究も面白かったですね。
墓標と強い結びつきのあるアカンサスがなぜ図1のようなコリント式柱頭(神殿の柱の装飾)にも用いられるようになったかという内容です。

で、アカンサスで色々調べていたら19世紀イギリスの芸術家・工芸家・装飾家、後に社会運動家となるウィリアム・モリスと話が繋がりました。

彼はいち早く産業革命を成し遂げたイギリスが開催した、1851年の第1回ロンドン万博博覧会で展示された工業製品の出来に不満を覚え、自ら装飾のデザインに着手するようになった、という人物です。
奇しくも装飾に着眼した芸術家の名前が出てくるのは興味深いですね。


この画像はWikipediaのアカンサス(装飾)という項目から引用。
彼は度々このアカンサスを壁紙などの装飾用に描いています。
アカンサス ウィリアム・モリス」で検索すると他にも色々な壁紙が出てきて綺麗なのでぜひ調べてみてください。
(普通に今も楽天とかで売ってるみたいです)

死者に永遠の生命を願った古代の装飾が19世紀イギリスの産業革命への対抗として蘇り、そして現在の私まで届いた、というところがもう胸いっぱいでしたね…ちゃんと永遠の生命として届いている…とひとりで興奮してしまいました。

近々群馬でウィリアム・モリスの展覧会もあるようなので、小旅行的な感じで行けたらいいなと妄想しています。
ウィリアム・モリスと英国の壁紙展

ちなみに《メリティネ》さんは眉毛の表現がとても精緻だな、と思ったのでぜひ横顔も観てあげてください。上品な眉毛です。

幕間劇が面白い

今回は章立てがなかなか面白くて「記憶」「権威」「コードとモード」だけではなく幕間劇として「持ち運ばれ、拡散する肖像」を展示するエリアⅠとⅡがありました。
多分、歴史が好きな人は泣いて喜ぶだろうなと思ったのがⅡのこちら。


セーヴル磁器製作所《国王の嗅ぎタバコ入れ》1819-20年(容れ物の方)
マリー=ヴィクトワール・ジャコト
《「国王の嗅ぎタバコ入れ」のためのミニアチュール48点》1818-36年(中身の方)

ルイ18世のコレクションで、フランス王政復古の時代に作られたものです。
この図版には写っていないんですが、セットになっている嗅ぎタバコ入れにこの中のミニアチュールを3つ選んではめ込むことができる仕様になっています。(蓋の四角い凹みに嗅ぎタバコ入れがセットできるようになっています)
これ、フランス王家所縁の人物コンプリートBOXだ…と思いました。
どれが誰なのかは現地で解説がちゃんと展示してあるんですけど、やはり歴史がが好きそうな人がたくさんいて混んでいました。

ちなみに幕間劇Ⅰはもう少し細かい小物類が並べられていたんですけど、《神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世の肖像が描かれた嗅ぎタバコ入れ》は、完全にラインストーンでデコったフリスクケースに見えます。
ぜひ現地で観てふむふむと思ってもらいたいです。

すごいぞナポレオン

ナポレオンの章までは、古代ギリシャやローマ、そしてフランス王家の権威をあらわすお約束・コードについてがわかる作品が展示されていました。
そして2つのコードを合わせて「皇帝ナポレオンの図像」を作らせたのがナポレオンの強烈なイメージ戦略でした。
なのですごいぞナポレオン、です。

アンヌ=ルイ・ジロデ・ド・ルシー=トリオゾンの工房《戴冠式の正装のナポレオン1世の肖像》、1827年(国立ナポレオン生家博物館に寄託)

月桂樹の冠が古代ギリシャやローマの権威のコード、白い肉厚のマントがフランス王家の権威のコードです。
(解説によると、このマントはフランス王家の伝統の白テンだそうです)
この肖像画でナポレオンがイメージ戦略を極めてるなと思ったのが月桂樹の冠を金色で描かせている点です。
コードのダブル引用の上に色の力まで使って権威をアピールしています。


クロード・ラメ《戴冠式の正装のナポレオン1世
1813年
今回の個人的な目玉は《メリティネ》とこの《戴冠式の正装のナポレオン1世》です。
先ほどの「皇帝ナポレオンの図像」の彫像版ですね。

何しろ展示状態が良く、後ろからも下からも眺め回せるようになっています。
嬉しくてぐるぐる観ているうちに気づいたのですが、マントの模様が蜜蜂なんですね。
気になって後から調べてみたら、蜜蜂は西洋では役割ごとに統率のとれた社会制度を象徴する意味があると分かり、イメージ戦略の徹底ぶりにぞくっとしました。

なぜ文様を蜜蜂にしたのかという経緯については、小宮正弘「ナポレオン紋章におけるオリエントの出現」に拠ると、ナポレオンの敵であったブルボン王朝の象徴・百合に負けない権威と歴史を持つ紋章を、ということでエジプトから蜜蜂の図像を引っ張ってきた、という仮説も立てられるとのことなので、ナポレオンはかなり自覚的にイメージ戦略に関わっていたのだと推察されます。

ここで初めの方に観たたっぷりした一枚布は権力を表すコードなのではないか説と、ギリシャ・ローマの彫像の布の表現を思い出してもらいたいのですが、このナポレオン像のマントはとっても肉厚な布として彫られています。
横から見るのがわかりやすかったですね。
ちょっと日本の婚礼衣装としての白無垢みたいな肉厚さを連想しました。裾に綿が入ってますね感
これを観てしまうと、ティベリウス帝の贅沢な布使いも、時代は違うとはいえ、確かにたっぷり使ってるけどただの透けない布だよな…っていう気持ちになります。

下から眺めて欲しいのは靴の部分です。
ちゃんと飾りのついた靴を履いていてなかなか可愛いんですよ。
現代で言うとシュークリップつけたぺたんこのパンプスにレースのシューフットを履いている、みたいな感じなので、ぜひ現地では躊躇わず後ろ・横・下からぐるぐる観てください。


フランチェスコ・アントンマルキ《ナポレオン1世デスマスク》、1833年
で、最終的にナポレオンは島流しされた先で亡くなるんですけど、このデスマスクも人気があって複製がいくつも作られて高値で取引されていたそうです。
国民の人気取りのためにナポレオン後の王ルイ・フィリップもこの流れを容認していただけでなく、デスマスクも所持していたそうなので、死んでなおイメージ戦略は勝利していたのかもしれません。

すごかったのねアルチンボルド


ジュゼッペ・アルチンボルド《春》1573年

エピローグとしてアルチンボルドの特異性が解説されていたのですが、これは構成としてかなり贅沢かつ斬新だと思いました。
公式HPの解説が素晴らしくわかりやすいです。

昨年のアルチンボルド展が、実は私の中ではあまりピンと来てなかったんですよね。
しかし、肖像画だけを観てきたこの状態で初めてアルチンボルドの凄さー「肖像画」という連綿と続く古典的なフォーマットの中で「春」「視覚的・知的な楽しさ」「全てを持っているという権力」を併せ持たせるーが、すとんと腑に落ちたという面白いエピローグでした。

プーシキン美術館展とルーヴル美術館

先述した通り、歴史的な人物関係がわからないと良さがわからない気がして肖像画に勝手な苦手意識があったのですが、「誰が描かれているか」がポイントになるのは思ったよりも少なかったように思います。
それよりも肖像の機能や時代変化に力点が置かれてて面白かったですね。

「コードとモード」の章では肖像の表情が徐々にくつろいだり、流行りの服を着たりというように変化が起きていて、肖像というジャンルでも「いまその時」を捉えようとする動きは穏やかながら起きていたというのを画面から感じることができました。

プーシキン美術館展を観てからこちらを観に来たので、いかに印象派がびっくり案件で革新的だったかが浮き彫りになりました…今ならプーシキン美術館展と両方観られるので、可能であれば印象派=いまその時を捉える個々人の試み、肖像=原則は記憶と権威からスタートした人間の営みということを頭の片隅に置いておくと新たな発見があるかもしれないなと思いました。
私も可能であればもう一度プーシキン美術館展はゆっくり観たいです。
プーシキン美術館展の3章以降から印象派が顔を出し始めますが、それ以外にも「今の空気」を捉えようとした画家たちの作品が並んでいました。
有名どころからはモネとセザンヌの風景画を選びましたが、次に行く機会があれば人物の表情も注目したいですね。

まとめ

こうやって肖像だけを並べると「どの画家の作品か」っていうのを忘れて画面そのものに集中できるということは新鮮な体験でした。
どこそこ美術館展、誰々コレクション、誰々回顧展を気にせずに作品に集中することって、徹底して同じ館の肖像に絞らないとできないことなのかもしれないなと思いました。

参考文献・論文

佐々木英也監修『オックスフォード西洋美術辞典』講談社、1989年
石鍋真澄千足伸行他『新西洋美術史』、西村書店、2010年
中山典夫「アカンサス文様の生成について」『駒澤大学文化 4』55-71頁、1978年(ciniiより)
小宮正弘「ナポレオン紋章におけるオリエントの出現」『静岡産業大学国際情報学部研究紀要 5号』41-52頁、2003年(ciniiより)