モネ それからの100年@横浜美術館

初週の土日が大混雑だったと噂の、モネ展@横浜美術館に行ってきたので感想を書いていきたいと思います。

【公式】モネ それからの100年(横浜美術館)

友人の勧めで映画も観てきたので予習もバッチリです。
この展覧会とコラボしたトークショー的な回もあったみたいですね。

平日の昼過ぎに行ってきましたが、やはりそこそこ混んでましたね。
チケット購入に並びはしないけど中は混雑している、ぐらいの感じでした。

チケット売り場の前に、ヌード展の時とは比べ物にならないくらい大量のパーテーションポールが並べられていたところを見て、週末のさらなる混雑ぶりを察しましたね。(写真撮ればよかったです)


クロード・モネ《睡蓮》1914-17年、群馬県立近代美術館(群馬県企業局寄託作品)

この作品が展覧会の冒頭に置かれているので、入口ですでに人混みによる若干の圧迫感はありましたね。
あとはやはりモネの作品に人が集中しがちで混み合うというか…展覧会の構造上、多分仕方ないんですけどね。
まあ、これだけの《睡蓮》やモネ作品ををまとめて観られる機会もなかなかないんじゃないかと思います。
まずそういう意味でとても貴重な展覧会です。

この冒頭の《睡蓮》は、赤紫色から立ち昇る香気のようなものがとても魅力的ですね。
足を止めたくなるのも分かります。

筆触分割がもたらした影響

モネが大気や光を描き表そうとして取った筆触分割という方法は、「筆跡は残さない」というそれまでの絵画のルールと真っ向から対立しました。
そしてモネの試みそのものは、絵画がそれまでに持っていた役割のひとつである「現実を模倣するものである」ことをなぞっていたにも関わらず、不思議なことに実際には物の形には捉われない=抽象への先駆けとなっていました。
この辺りのねじれがモネの面白いところですね。

筆触分割により、絵の具やカンバスは絵画の一部ではなく素材に過ぎないということが浮き彫りになったというのも興味深いと思います。

私は、現代アートでは「自分の表現の道具に何を使うか?」という選択そのものにも意味が込められていることが多いという印象を持っています。
なのでそれらに触れる際は、数多の情報や選択肢に溢れている時代だからこそ、作者が何を選び取り何を発信したいと考えているか、という部分は結構気にしています。

そういう意味で面白かったのは岡崎乾二郎の作品ですね。

タイトルも長いですし、抽象の極み過ぎて頭の中は「???」という感じなんですけれどね。
とにかくアクリル絵具の色が綺麗に発色していて、ああいいなあ、と会場で思いました。

左側の《山の向こうの中腹のちっぽけな村はすでに見えなくなり、ふたたび春が巡ってきた。葡萄の木はあたかも塀の笠石の下を匍う病める大蛇のように見える。生あたたかい空気のなかを褐色の光が動きまわっていた。似たりよったりの毎日が作りだす空白は伐り残した若木まで切り倒すだろう。日々の暮らしのなかで樹木の茂みは岩のように突き出ている。》の中央付近の緑が抜群に綺麗で気に入りました。
タイトルがすごく長い。

美術に対する言葉の幅広さ

今回の展覧会は、モネの作品25点とモネ以後の作家による作品66点を様々な角度から結びつけるという構成になっています。

その「様々な角度」の引き出しの広さがとても面白かったですね。
モネをどのように捉えるかという難題に対して、先に述べた筆触分割、光や大気への関心以上の回答が様々な言葉で示されていました。
さすがプロだなと思うと同時に、まだまだ私も美術を表すための語彙量を増やしていきたいなと燃えました。

一部の作品には、子ども向けの分かりやすい解説もついています。
この中に着眼点の本質が潜んでいると感じたので、こちらを読むのもおすすめです。
平易な言葉で分かりやすく情報を伝えるという難しいことがさらりと行われていてかっこいいなと思いましたね。

印象に残っているのが瞑想性という言葉でモネとロスコを結びつけていた点です。


クロード・モネ《霧の中の太陽》1904年、個人蔵

東京都現代美術館に所蔵されているロスコの《赤の中の黒》と、こちらの《霧の中の太陽》が同じ部屋に展示されています。

※ロスコは例によって著作権関係があるのでググってもらえると助かります。

瞑想とは、ひとつの対象、もしくは心に去来する現象を無心に観察し集中を高めることを言うのだそうです。
瞑想性という言葉ひとつで作品と作品を繋ぐということそのものになんだかうっとりしてしまいました。

ロスコはいままで気にしたことがなかったのですが、日本にも大きなコレクション(川村記念美術館)があるようなので、観に行ってみたくなりました。
ブリジット・ライリー展に行きたいなとは思っていたので、一緒に観てきたいと思います。

モネへの真正面の挑戦

モネとロスコのように、後世から観てある種の類似性を感じられるという意味で選ばれている作品がある一方で、明確にモネへのオマージュとして位置づけられている作品も数多く展示されています。

その中では、横浜での展覧会のために制作された福田美蘭の作品が好きでした。


福田美蘭《睡蓮の池》2018年、作家蔵


福田美蘭《睡蓮の池 朝》2018年、作家蔵

【アート 美】「モネ それからの100年」展 光の移ろい…追い続けて - 産経ニュースより引用

池の水の反射に心惹かれたモネの作風が、ガラス窓の反射によって実像と虚像が入り混じる様に置き換えられています。
モネの《睡蓮》作品群があまりにも有名なため、実態の睡蓮と水に映る風景が同画面に存在する事は違和感なく受け止めていましたが、この2つの作品のようにモティーフが入れ替わると途端にその特異性が浮かび上がってきますね。

個人的には《睡蓮の池 朝》がより実像と虚像の揺らめきが際立っているように思います。

続くコレクション展では同じく福田美蘭の《風神雷神図》も展示されているので、こちらも一緒に観るのがおすすめです。

横浜美術館はコレクション展にも力が入っているので、企画展+コレクション展を一緒に観られると発見が増えるのですが、展示数がかなり多いんですよね。
ボリュームがあるので、横浜美術館は個人的には結構気合いが必要になる美術館という印象です。