ジョルジュ・ルオー 聖なる芸術とモデルニテ@パナソニック汐留ミュージアム

時系列は前後するのですが、11月は(も)ドタバタでなかなか展覧会に行けていませんでした。
結果あまりにも心が荒んだため、営業の特権・直帰と半休を使い、客先から近かったルオー展に行ってきました。

公式サイトはこちらから。
ジョルジュ・ルオー 聖なる芸術とモデルニテ | 汐留ミュージアム | Panasonic

汐留ミュージアムは今回初めて行ったのですが、本当にパナソニックのフロアのすぐ上に美術館があるんですね。

もともと汐留ミュージアム自体が「ルオーギャラリー」としてコレクションを形成していることもあり、15周年の節目としてかなり気合を感じる展示会でした。
詳細は公式でかなり語られているので、私がさらに書くこともない気もしますが、時間が経ってもかなり印象深い展覧会だったので、ぽつぽつ書いていこうと思います。

顔、顔、顔の凄み

第Ⅱ章 聖顔と聖なる人物:物言わぬサバルタン(被抑圧者)という章では、ルオーが描いた人物の顔だけが展示されていました。


ジョルジュ・ルオー《ヴェロニカ》1945年頃、ポンピドゥセンター


ルオー《サラ》1956年、ジョルジュ・ルオー財団蔵

※画像はジョルジュ・ルオー 聖なる芸術とモデルニテ(パナソニック 汐留ミュージアム|品川 - お台場|東京)|EXHIBITIONS | 美術手帖より引用

太い主線、大きな眼、独特の色彩と厚いマチエールを持つ作品が同じ空間に17点。
マチエールの厚みは最近観た作品の中では随一でした。
作品リストを見ると、かなりの作品に「麻布で裏打ち」と書かれています。
厚みを支えるために裏から補強しているんですよね。

《サラ》の周りの白い装飾は、石のようにも花のようにも見えます。荘厳な印象です。

部屋に足を踏み入れた瞬間から、熱量のようなものに圧倒されてしまいました。
ルオー自身がひたすらに信仰告白として作品を作り続けそれが残されていった結果、現在の私たちがその作品を通してそれぞれに普遍的な愛や慈しみ、人間の在り方のようなものに思いを馳せることができるのだと思います。
時間と空間、そして信仰の有無を越えていくことが凄いなと…作品としての強さが素晴らしいなと思いました。

宗教画としての機能の違い(ルーベンスとの比較)

個人の感覚ではありますが、同じ宗教画でも例えばルーベンスとはまた違った印象ですね。
ルーベンスからは職人としての気質や腕の高さを感じますし、「観る者に信仰心を想起させる」ことに非常に長けているように思います。

ルオーはやはり「個人の信仰告白」が根底にあることが、また違った意味を持つ要因になっているのかなと感じました。
制作動機の違い、そして絵画自体の機能の変遷(建築の装飾からの自立)が感じられたので、比べてみて面白いなと思いました。

そしてルオーの作品も教会装飾として転用されているんですよね。
この辺りもなかなか興味深いです。


ルオーの作品とステンドグラス、相性いいだろうなと思いながら観てましたがやはり素晴らしいですね。
(またライディングもいいのが流石のパナソニックさん)