ピエール・ボナール展@国立新美術館

いざ、視神経の冒険へ。

こちらも会期末に駆け込んできました。
公式サイトはこちらから。
http://bonnard2018.exhn.jp/

視神経の冒険とは?と思っていたのですが、ピエール・ボナール自身の言葉からの引用なのですね。
一度見たものをある程度時間を置いてから描く、記憶を頼りに画面の上で再構築する試みを行っていたというのも興味深いです。
戸外に出てスケッチを始めた写実主義印象派の画家たちとはまた違う傾向です。
ある種の反動ですね。

ぼんやりとした印象を与え、構図も遠近感も不可思議なボナールの絵をよく見ると、思いがけない発見があります。目がとらえた形や色がものとして意味をなす以前の「なまの見かた」を絵にする試みを、ボナールは手帖に「絵画、つまり視神経の冒険の転写」と書きつけています。

この展覧会以前に、今年はヌード展@横浜美術館、フィリップ・コレクション展@三菱一号館美術館ピエール・ボナールの作品を観ています。


《浴室》1945年、テート・コレクション
Category:Paintings by Pierre Bonnard - Wikimedia Commonsより引用


《犬を抱く女》1922年、フィリップス・コレクション
※会場内撮影可能エリアにて撮影

ピエール・ボナールという画家のことはいままであまり意識していなかったので、正直これらの展覧会でバラバラに観たときはピンと来ていなかったんですよね。

■参考
しかしながら今回の展覧会でまとめて作品を観てみたら、あれ私ピエール・ボナール結構好きかもしれないぞと思うようになりました。
じわじわ恋に落ちていったような感じです。

《浴室の女》たち

※今回、断りがない作品画像はhttps://www.the-athenaeum.org/より引用しています。

第4章:近代の水の精(ナーイアス)たちでは、ピエール・ボナールの代表的なモティーフである裸婦、特に浴室や水の側の裸婦の作品がまとまって展示されていました。

私のお気に入りはこちら。


《洗面所》1908年、オルセー美術館

調度品のひとつひとつが可愛らしいですね。
何気ない日常の一コマ感は写真的な意識が見え隠れします。
この前の3章で、1890年初頭から彼が写真撮影を行っていたことが示されているのも展示として「上手いな」と感じました。

今回は来ていませんでしたが、同時期に描かれた似た構図の作品も存在します。


《洗面台の鏡》1908年、プーシキン美術館

どちらも可愛らしい調度品と、女性の顔が見えないことによる不穏さのギャップが面白いなと感じました。
よく見ると肌色がそれぞれの調度品と上手く呼応しているところも興味深いです。

裸婦の作例はこのように鏡越しのものからスタートしたようです。
様々な裸婦の作品をまとめて観ていく中で、彼の関心は鏡や写真のイリュージョン性のようなものから、のちに肉体の動きや日常の一コマの反芻に移っていったのかなと思いました。

花の絵が好きーピエール・ボナールとルドンー


《花》1933年頃、国立西洋美術館
※ポストカード撮影

まさかの国立西洋美術館蔵に「!?」となった作品。
ピエール・ボナール | 花 | 収蔵作品 | 国立西洋美術館
常設でまたじっくり観たい作品です。

どうも私、薄々気づいてはいたのですが人物画よりも花の絵が猛烈に好きなようです。
このブログを書くにあたりいろいろと作品画像を探していたのですが、この花の絵がまとまっているページが実に多幸感に満ち溢れていて鳥肌が立ちました。
Category:Flowers in paintings by Pierre Bonnard - Wikimedia Commons
参考作品ですが、 この2つの作品が特に気に入りました。
どちらも個人蔵のようなので生きているうちに実物が観られたらいいなあと思っています。


《野の花(Wildflowers)》1916年、個人蔵

テーブルクロスの直線と花々が取る自由な曲線の対比に心惹かれます。
そしておそらくはポピー(芥子の花)。

彼の作品の中にはそのものずばり《ポピー》が題名となった作品もいくつかあるみたいですね。


アネモネ》1917年、個人蔵

こちらも素敵ですね。
青や紫のアネモネが持つ色彩の強さやほんの少しの毒っ気のようなものが良く出ているように思います。

彼がキャリアの初めに属していたナビ派象徴主義とも結びつけられるゴーギャンの影響を受けて結成されたものです。
しかしながら個人的には、ピエール・ボナールの作風はゴーギャンよりも、同じ象徴主義の画家であるルドンを思わせるような気がします。

上手く言えないのですが、似ていると感じるのは色彩感覚や装飾への関心でしょうか…
精神世界や幻想への眼差しという部分では、ルドンの方が圧倒的に振り切っています。
ですが、「花」というものの生命力に心を惹かれている様、そこに「何か」を見出しているかのような作品を観ていると、やはりどこか近しいものを感じるのです。


オディロン・ルドン《蝶》1910年頃、ニューヨーク近代美術館


オディロン・ルドン《グラン・ブーケ》1901年、三菱一号館美術館
展覧会「ルドン―秘密の花園」三菱一号館美術館で - 花や植物に焦点を当てた世界初の大規模展 - ファッションプレスより引用

この部分をずっと考えていてなかなか感想が書き出せませんでした。
来年はこういうところをもっとしっかり言語化できるようになりたいですね。