ゴッホ《ひまわり》と改めて向き合う

土曜日にターナー展@損保ジャパン日本興亜美術館に行った際に、常設されているゴッホの《ひまわり》も観てきました。

この作品を観るのは2003年に同館で開催されていた「ゴッホと花」展以来です。


フィンセント・ファン・ゴッホ《ひまわり》1888年12月頃、損保ジャパン日本興亜美術館
フィンセント・ファン・ゴッホ | 東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館より引用

赤に見つめ返される恐怖

今回、私がこの絵と対峙した時にパッと浮かんだ言葉は「赤の恐怖」でした。

画面中央から向かって右にやや外れた位置にある、正面を向いたひまわりの花の中央に描き込まれた赤の点。
その、ただ一輪のただ一点の赤から、怖いのに、見つめ返されているようで目が離せないのです。

「絵から見つめ返される」という体験はしたことがなかったので、正直かなり怖かったです。
目が離せないというのともまた違うんですよね…

以下、損保ジャパン日本興亜美術館の解説文の引用です。

1888年2月、パリから南フランスのアルルに移ったゴッホは、その年の8月、ゴーギャンのアルル到着を待ちわびながら《ひまわり》の連作に着手しました。敬愛するゴーギャンの部屋を「ひまわり」の絵で飾ろうと考えたのです。
ゴッホはアルルで7点の「花瓶に生けたひまわり」を描いていますが、この作品はそのうちの1点で、現在ロンドンのナショナル・ギャラリーが所蔵する《(黄色い背景の)ひまわり》をもとに描かれています。
ロンドンの《ひまわり》と同じ構図で描かれていますが、全体的な色合いやタッチなど、細かい部分はロンドンのものと異なり、ゴッホが複製ではなく色彩やタッチの研究のひとつとしてこの作品に取り組んでいたことがうかがえます。(略)

この解説に出てくるロンドン・ナショナル・ギャラリーの《ひまわり》がこちらになります。


ゴッホ《ひまわり》1888年8月、ロンドン・ナショナル・ギャラリー
Vincent van Gogh | Sunflowers | NG3863 | National Gallery, Londonより引用

こちらの《ひまわり》は、画像で見る限り、同じ花の位置に少なくとも克明な赤い点は描かれていないように見えます。
念のため、手元にある圀府寺司『ファン・ゴッホ 自然と宗教の闘争』の口絵の同作も確認してみたのですが、やはり赤い点は見当たりませんでした。
実物どうしで比べないとフェアではないですが、やはり赤い点の衝撃は日本の《ひまわり》に軍配が上がりそうです。

赤と緑と《夜のカフェ》

1888年の8-9月頃に描かれた《夜のカフェ》という作品について、ゴッホは書簡の中で次のように述べています。

ぼくは人間の恐ろしい情熱を赤と緑で表現しようと努めた(書簡533、1888年9月8日)

ぼくは《夜のカフェ》の絵の中で、カフェという所が、人が身を破滅させ、気が変になり、罪を犯しかねない場所だということを表現しようとした。(中略)要するに、ぼくは居酒屋の闇の力のようなものを表現しようとしたのだ(書簡534、1888年9月)


ゴッホ《夜のカフェ》1888年、イェール大学美術館
フィンセント・ファン・ゴッホの作品一覧 - Wikipediaより引用

同年7月の書簡の書簡では以下のように、色彩への興味を語っていることから、感情と色彩の関係についてゴッホが高い関心を持ち、それを作品に反映させようと考えていたことが伺えます。

それで赤-青-黄-オレンジ-紫-緑、六原色に均衡を与える頭脳の仕事からひとりで帰ってくるとき、ぼくは、呑ん平で気が狂っていたというあのすばらしい画家モンティセリのことをじつによく心に思い浮かべる。(書簡507、1888年7月)

ここからは私の推察ですが、日本の《ひまわり》も《夜のカフェ》と同様に色彩が人間の感情に与える影響を試した可能性があるのではないでしょうか。

鮮烈な黄色の画面と調和する緑、しかしそこにただ一点の赤を加えることで人の感情に何が起きるのか。
《夜のカフェ》で色彩と人間の感情の関係をつかんだゴッホが、すでに型としてある程度整っていた「ひまわり」というフォーマットを用いて再び実験したのではないか…そんなことを考えずにはいられませんでした。

参考文献

圀府寺司『ファン・ゴッホ 自然と宗教の闘争』2009年、小学館

余談

そろそろ手元にゴッホの書簡集が欲しくなってきました。
学生時代は論文を書くためにキーワードで拾い読みしていただけなので、時間があるいまのうちに一度精読してみたいなという欲が出てきまして…
やはり手元に資料がある方が色々捗るし、と言い訳をしながらそのうち買ってしまいそうです。