映画『私は、クロード・モネ』感想

先日、友人の勧めで映画『私は、クロード・モネ』を観てきました。

こちらは「アート・オン・スクリーン」というシリーズの中の一作に当たります。
ミケランジェロは公開が終わってしまいましたが、10月にはゴッホが待っています。
これはゴッホ好きとしてはまた観に行かないとですね…
「アート・オン・スクリーン」オフィシャルサイト

私は全くのノーマークだったのですが、異動前の店舗で一緒に働いていた友人Sophia氏(id:missingpuzzle)から教えてもらいました。
是非観てきてブログに感想を書いて欲しいというリクエストをもらったので、張り切って書きたいと思います笑

彼女は私の仕事上でのアクの強さというか、こだわりの強い部分を「ばやしこには美学があるからね〜」と肯定してくれたり、体調を崩してからも色々と相談に乗ってもらっているというありがたい存在です。
このブログをきっかけに彼女もブログを始めたと言ってくれているのも励みになります。

本編の感想

まず、雰囲気はこちらのYouTubeに上がっている予告編で軽く掴んでもらえるかと思います。

この動画のように、心地の良い波の音とピアノの音に合わせて実景と絵画の境界がじんわりと揺らいでいきます。
それに合わせてモネ自身による膨大な手紙や書簡が淡々と語られる、という構成になっています。

この映画自体が配給が少なく、全国で4館、東京でも銀座の東劇のみというピンポイントぶりなのですが、横浜美術館の「モネ それからの100年」展が盛り上がっている(らしい)いまこそ、チャンスがある方はぜひ観てほしい作品です。
※いまのところ東劇は7/27までは上映が決まっています。

若き日のお金の苦労や晩年の仲間に取り残される寂しさ、創作に向かう苦しみや作品への誇り高さなど、ひとりの人間としてのモネが浮かび上がってくるので、より立体的に楽しめるのではないかなと思います。

またモネはどうしても人気のあるジヴェルニーの《睡蓮》に脚光が当たりがちですが、むしろそれ以外の地で描かれた作品の方が数多く取り上げられていてとても面白かったです。

観ていて思ったのですが、私も何となく勝手に、1883年にジヴェルニーの地を借りた以降は定住して庭の絵を描き続けているイメージを持っていましたが、この映画でそのイメージは完全に覆りました。
先日のプーシキン美術館展のサブタイトルが「旅するフランス風景画」であったように、モネもまた旅する画家だったのです。

ジヴェルニーの地を得てから取り組んだルーアンの大聖堂の連作では、大聖堂の存在感に圧倒されて夜中にうなされながらも一気に10枚以上の絵を仕上げたことが書簡で明かされていきます。




上から《ルーアン大聖堂、朝の陽の効果》《ルーアン大聖堂、陽光》1893年オルセー美術館、《ルーアン大聖堂、夕べ》1894年、プーシキン美術館

また、ロンドンの霧に魅了されてウォータールー橋の様子を、時間を変えて何枚も描いたことも語られます。

この映画の見どころは、実景と様々な連作が緩やかに重ね合わされていく点ですね。
これは映像ならではの魅力だと思います。
これを実物の絵画を並べてやろうとしたら途方もなく大変なはずです。

この《ウォータールー橋》の連作が重ね合わされる場面は色合いも相まってとても幻想的でした。



上から《ウォータールー橋、霧の効果》1899-1901年、《ウォータールー橋》1903年、共にエルミタージュ美術館

ヴェネツィアへ旅をしてその光の虜になったという場面も面白かったです。
「独特の光を見て、自分が老人だということを忘れそうになった」というような意味合いの語りを聞いて、モネの光に対する感性や興味の強さに驚きました。

それにしても、大人気のエッシャー展やターナー展でも思いましたが、イタリアって画家にとっては本当に魅力的な地なんですね。
ヨーロッパに行ったことがないのでなんとも言えないのですが、建築もさることながら地理的に陽光が違うのでしょうか…さて、私がこの映画に出てきた作品の中で、最も好きだと思ったのがヴェネツィア滞在で描いたというこの作品です。


ヴェネツィアのゴンドラ》1908年、ナント美術館

この時のモネは67歳です。
ゴンドラの形と水の揺らぎの対比の美しさ、空気感の瑞々しさを捉えるモネの眼とそれを描き出す力の鋭さ、歳を重ねても新しいものに臆さない精神の強さにどきりとした1枚でした。
これはいつか本物を観てみたいですね。